Bank of Japan Hakodate Branch
日本銀行函館支店のあゆみ


函 館 支 店 の あ ゆ み


 箱館の開港
洋夷茗話 付図<函館市中央図書館 所蔵> 箱館図・アイヌ及異人風俗図<函館市中央図書館 所蔵>
 日本で最初の通商条約である「安政の五カ国条約」が締結された翌年の1859年(安政6年)、箱館を含む5つの港が開港され、自由貿易が始まりました(実際に貿易が始まったのは、箱館、横浜、長崎の3港)

 ペリー来航により、箱館は北の国際都市「HAKODADI」として世界に紹介されました。
 箱館は、舶来の洋物雑貨類を輸入するなど、伝統的な日本文化の中に多くの西欧文化を受け入れていき、幕末から明治期にかけて函館のハイカラ文化は開花していきました。



 函館は古くから栄えていた歴史ある街なんだね。
 日本初の洋式帆船の建造、西洋料理店の開店、北の写真技術発祥の地、日本初の気候測量所の設置、地方博物館の先駆け函館博物場の開場、北海道初の上水道の竣工、北海道初の馬車鉄道の開通など、いろいろな日本初、北海道初があるんだ。


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 日本銀行函館出張所の開設
日本銀行函館出張所(初代店舗)
 日本銀行の支店は現在32店舗あります。その中でも函館支店は、現存する支店としては大阪支店の次に古い歴史を持つ支店で、1893年(明治26年)4月1日、「函館出張所」として開設されました。

 1859年(安政6年)に函館、横浜、長崎の3港が開港されたこともあって、北海道経済の中心であった函館に開設された函館出張所は、開設から2年、1895年(明治28年)に「北海道支店」となり、道内一円を管轄することとなりました。
 その後、1906年(明治39年)、北海道経済の中心が小樽となったために、一時的に「函館出張所」となりましたが、1911年(明治44年)には出張所から「函館支店」に昇格となりました。



 現在、北海道内には函館支店のほか、札幌支店、釧路支店、旭川事務所、帯広事務所があるよ。以前は小樽支店もあったけど、2002年(平成14年)廃止になっちゃったんだ。
 函館出張所の開設と同時に、道内に札幌、根室出張所のほか、所管派出所16か所(小樽・釧路など)も開設されたけど、1898年(明治31年)釧路派出所が廃止、札幌出張所も1906年(明治39年)に閉鎖されて、歴史が途切れちゃったんだ。


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 函館出張所から北海道支店へ

 函館商工会会頭が函館支店の設置を日本銀行総裁に請願したことも後押しになって、1895年(明治28年)7月10日、函館出張所は北海道支店となりました

 このとき、北海道にあった3出張所(函館、札幌、根室)のうち根室出張所を廃止して根室派出所としたほか、それまで札幌出張所と根室出張所が所管していた派出所についても北海道支店が所管することとなったため、実質的に道内一円を管轄することとなりました。
 その後、1906年(明治39年)、北海道経済の中心が小樽となったために、一時的に「函館出張所」となりましたが、1911年(明治44年)には出張所から「函館支店」に昇格となりました。



 この北海道支店は、支店としては大阪支店(明治15年12月開設)、西部支店(現在の北九州支店、明治26年10月開設)に次いで、3番目に開設されたんだよ。
 日本中、北から南までおかねを円滑に行き渡らせるためにも、北海道支店は必要だったんだね。


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 函館商工会から日本銀行総裁への請願

函館支店御設置之議ニ付申請

 北海道金融ノ状況ハ従来ノ経験ニ依レハ第一漁業ノ季節ト収獲ノ豊凶ニ関シ而シテ内地金融ノ影響ヲ被ムルモノ亦少ナカラス其他種々ノ原因ニ依リテ変動ナキニアラスト雖トモ要スルニ本道ハ新開ノ地ニシテ従来都邑ノ開ケ人口ノ増加シタル割合ニ比スレハ資金ニ乏シク近来運輸交通ノ開クルニ從テ益々戸口ヲ増殖シ物産ヲ隆興シ猶将来起スヘキノ事業少ナカラス而シテ東北鉄道開通以来近県物産ノ当港ヲ経テ集散スルモノ最モ多キヲ加ヘ従テ当港ノ融通資金ハ益々巨額ヲ要スルニ至レリ殊ニ函館ハ本道ノ咽喉ニシテ商業ノ中心ヲ占ムルヲ以テ各銀行ハ各地ノ要港ヘ支店若クハ出張所ヲ置キ当港本店ト相応シテ融通ヲ謀リ水産家ハ当港ニ在リテ各漁業ノ仕入ヲ為シ物産商ハ当港ニ在リテ各産地ヨリ物産ノ買出ヲ為シ又米穀其他ノ需要品等ヲ輸送スル等当港ノ全道ニ関係スルコト最モ大ナルカユヘニ例年漁季ニ在リテハ金融ノ頻繁ナルコト多ク他方ニ見サル所ナリ
 此ノ如ク全道ハ年ヲ追フテ進歩スルニモ係ハラス融通ノ金額ハ之ニ伴ハサルノ状勢アリ殊ニ近年内地金融緩慢ノ余勢ハ延ヒテ本道ニ及ホシ低利ノ結果ハ遂ニ融通資本ヲ土地家屋等ノ固定的財産ニ放下シタルモノ夥クス貨物ニ対シ貸出ヲナシタルモノ巨額ニ至リ遂ニ今日ノ逼迫ヲ醸生スルニ至レリ是等ノ状況ハ夙ニ貴下ノ達観セラルヽ所ナルヘシト雖トモ今ヤ本道開進ノ気運ニ向ヒ愈々商業ノ振興セントスルノ日ニ至リテ時々金融ノ逼迫ヲ感スルカ如キハ実ニ殖産興業ノ前途ヲ障害スルコト少ナカラサル義ト憂慮仕候貴行ハ幸ニ当港ニ御出張所ヲ設ケラレ居候義ナレハ此際一層御拡張ノ上御支店ヲ設置被為在候ハヽ啻ニ当港商業上ノ稗益ニ止マラサル義ト確信仕候依テ今般本会総会ノ決議ヲ以テ申請仕候 敬具

  明治二十七年六月二十一日
                       函館商工会
                          会頭 小川幸兵衛
  日本銀行総裁  川田小一郎 殿



 どんどん経済が発展する北海道の中でも、重要な玄関口であり商業の中心でもある函館に、せっかく日本銀行の出張所があるんだから、ぜひ支店に昇格してほしいってお願いしたんだね。
 このお願いに、5日後の26日、日本銀行総裁から「時期をみて支店を設置するつもりです」と返事があって、約1年後の明治28年7月10日に、函館出張所は「北海道支店」になったんだよ。


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 函館大火と日本銀行函館支店
大火で炎上する日本銀行函館支店(大正13年)
 函館では昔から大きな火事が何度も起きていました(明治以降、家屋1,000戸以上を焼失する大火は10回以上発生)。
 1907年(明治40年)、1921年(大正10年)、1934年(昭和9年)の大火はその主なものと言われており、中でも昭和9年の大火は、市街地の3分の1を焼き尽くす歴史に残る大惨事で、24,186戸を焼失、2,000人以上の死者が出ました。

 日本銀行函館支店も2度の大火に見舞われています。
 明治40年8月25日の大火では、函館出張所は400u規模の建物を類焼しましたが、金庫は無事に残存していたため、夜を徹した工事によって、末広町の焼け跡に仮事務所を設けて、3日後の28日から通常業務を開始しました。
 大正13年8月27日の火災の際には、東浜町からの出火の飛び火を受けて、末広町にあった函館支店は、金庫・書庫などを除き全焼しました。本館は屋根全部と2階各室が焼け落ちて周りの壁だけが残りましたが、事務室としては使用できる状況ではありませんでした。金庫に保管されたおかねや、帳簿や重要書類などは被害を免れたため、本館の残り火が燃える間も、付属家で仕事をして、業務を一日も休止することはありませんでした。



 写真は、大正13年の大火で炎上している日本銀行函館支店だよ。
 明治40年に類焼した後、明治44年に完成したばかりの建物だったけど、わずか13年で全焼してしまったんだ。

 火事で建物が全焼しても、2度とも金庫は残ったんだよ。日本銀行は、みんなのおかねを守っているんだね。


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 志海苔古銭(しのりこせん)と日本銀行
志海苔古銭と珠洲の大甕<市立函館博物館 所蔵>
 昭和43年7月、函館市志海苔(しのり)町の道路拡幅工事現場から、地中に埋められた3つの大甕(かめ)に詰められた大量の古銭が発見されました。

 発掘された古銭の総数は37万4千枚。
 量的にいっても我が国最大規模のもので、なんと重量1.6トンの古銭がダンプで函館博物館に運び込まれたそうです。
 その大半は中国銭で占められていましたが、日本の飛鳥から平安期に鋳造された皇朝銭(こうちょうせん)も8種類含まれていました。

志海苔古銭出土状況<市立函館博物館 所蔵>
 あまりにも大量の古銭であったため、その整理(洗浄、分類)作業には4年以上もの時間がかかりました。

 当時の日本銀行函館支店の職員も、昭和43年9月から翌44年3月までの間、土曜日の午後と日曜日に、休日を返上して洗浄と整理の作業をお手伝いしました。
 また、銭種の分類等については、日本銀行本店の職員もお手伝いさせていただきました。



 どうしてこんなにもたくさんのおかねが埋められていたか、理由ははっきりとはわからないんだって・・・。
 でも、工事現場からたくさんのおかねが出てきて、当時の人はびっくりしただろうね。
 「志海苔古銭」は函館公園の中にある「市立函館博物館」に行くと見ることができるよ。


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 現在の店舗(店舗の移り変わり)
初代店舗:1893年(明治26年)〜1907年(明治40年)
 初代店舗(末広町1番地)
 1893年(明治26年)〜1907年(明治40年)

 1893年(明治26年)、函館出張所として開設するにあたり、三井銀行から家屋を買い入れて店舗としました。
 1907年(明治40年)の大火により営業所を焼失するまでの間、函館出張所→北海道支店→函館出張所と名前が変わりました。
 店舗焼失後は、仮店舗(豊川町)で営業を続け、その間に、函館支店となりました。


ニ代目店舗:1911年(明治44年)〜1924年(大正13年)
 ニ代目店舗(末広町1番地)
 1911年(明治44年)〜1924年(大正13年)

 支店昇格の直後に建設されたニ代目店舗は、辰野金吾博士(日本銀行本店や東京駅を設計)と高弟・長野宇平冶の設計によるもので、木造二階建てで石造り風の外観を持つ、本格的な洋風建築でした。
 しかし、竣工からわずか13年後の1924年(大正13年)、大火により焼失してしまいました。



三代目店舗:1926年(大正15年)〜1988年(昭和63年)
 三代目店舗(末広町1番地)
 1926年(大正15年)〜1988年(昭和63年)

 三代目店舗の建設にあたっては、関東大震災(1923年)の経験を踏まえ、耐震・耐火構造が日本銀行の支店建設の主流となっていたこともあって、鉄筋コンクリート造りの建物となりました。
 この店舗は、1988年(昭和63年)に現在の店舗(東雲町)に移転するまで60年以上も使われました。
 現在は、「函館市北方民族資料館」として利用されています。

現店舗:1988年(昭和63年)〜
 現在の店舗(東雲町14-1)
 1988年(昭和63年)〜

 四代目となる現在の店舗は、1988年(昭和63年)に東雲町に新築されました。
 北海道開拓の地としてエキゾチックな雰囲気が漂う函館の歴史的な街並みとの調和を図るため、建物の外壁には薄い小豆色の花崗岩が使用され、函館の土地柄にふさわしい、明るさと落ち着きを兼ね備えた店舗となっています。



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