日本銀行 広島支店
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原爆関係資料|旧店舗の店内とその活用状況
トップページ > 原爆関係資料 > 旧店舗と活用状況 >8.6からの復興

原爆投下時の日銀原爆投下時のヒロシマ原爆投下時の日銀広島支店8.6からの復興

○8.8営業(えいぎょう)再開(さいかい)への(みち)  

── 日銀にちぎん広島ひろしま支店してん営業(えいぎょう)再開(さいかい)原爆(げんばく)投下(とうか)2にち()の8がつ8にちだった。混乱(こんらん)(なか)において日銀(にちぎん)職員(しょくいん)復興(ふっこう)尽力(じんりょく)した記録(きろく)をここに公開(こうかい)する。
  ●8月8日 営業(えいぎょう)開始(かいし)() けて (PDF 23KB)


他店(たてん)からの救援(きゅうえん)  

──  広島(ひろしま)支店(してん)一瞬(いっしゅん)のうちに死地(しち)(おちい)ってしまった。各方面(かくほうめん)からの救援(きゅうえん)()がどのようにして()()べられたか。その概略(がいりゃく)再現(さいげん)してみる。
  ●五十嵐(いがらし)岡山(おかやま)支店長(してんちょう)善処(ぜんしょ)  (PDF 29KB)


五十嵐岡山支店長から本店への報告書類

五十嵐(いがらし)岡山(おかやま)支店長(してんちょう)から本店(ほんてん)への報告(ほうこく)書類(しょるい)(日本(にっぽん)銀行(ぎんこう)本店(ほんてん)(きん)(ゆう)研究所(けんきゅうじょ)所蔵(しょぞう))】

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復興(ふっこう)への(あゆ)

 太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)は、広島(ひろしま)原爆(げんばく)罹災(りさい)してから()もなく、8がつ15にち終結(しゅうけつ)(むか)えた。
 広島(ひろしま)支店(してん)復興(ふっこう)への(あゆ)みはこの()から(はじ)まったが、店舗(てんぽ)内外(ないがい)はまだ応急的(おうきゅうてき)破損物(はそんぶつ)()(かた)づけただけで、いわば廃屋(はいおく)での営業(えいぎょう)であった。しかも男子(だんし)職員(しょくいん)(ほとん)どが負傷(ふしょう)療養中(りょうようちゅう)で、店内(てんない)寝泊(ねとま)りしながら勤務(きんむ)するという異常(いじょう)事態(じたい)であった。したがって支店(してん)復興(ふっこう)(だい)1の課題(かだい)は、これら被災(ひさい)職員(しょくいん)(よし)(かわ)支店長(してんちょう)以下(いか)15(めい)配置(はいち)転換(てんかん)早急(そうきゅう)実施(じっし)し、治療(ちりょう)(とう)につとめさせることであったが、これは8がつ20にち高山(たかやま)営業(えいぎょう)課長(かちょう)木塚(きづか)文書(ぶんしょ)課長(かちょう)更迭(こうてつ)発令(はつれい)されたのをはじめとして、その()逐次(ちくじ)異動(いどう)(おこ)なわれ、翌年(よくねん)3がつまでに12(めい)転勤(てんきん)実現(じつげん)をみた。一方(いっぽう)同期(どうき)間中(かんちゅう)転入(てんにゅう)した職員(しょくいん)復員者(ふくいんしゃ)(とう)(ふく)め30数名(すうめい)(たっ)したため、各課(かくか)とも執務(しつむ)体制(たいせい)(ととの)い、復興(ふっこう)への(あゆ)みは本格的(ほんかくてき)軌道(きどう)()ることとなった。
 (つぎ)業務面(ぎょうむめん)では、8がつ6にち以降(いこう)停止(ていし)されていた手形(てがた)交換(こうかん)市中(しちゅう)復興(ふっこう)気運(きうん)(たか)まりをみせる(なか)で10がつ1にち再開(さいかい)された。また、当店(とうてん)事務室(じむしつ)共同(きょうどう)使用(しよう)していた市中(しちゅう)取引先(とりひきさき)は、逐次(ちくじ)自店(じてん)焼跡(やけあと)などに応急(おうきゅう)店舗(てんぽ)建設(けんせつ)にとりかかり、(はや)いものは8がつ(まつ)から9がつ(ごろ)(おそ)いものは(よく)21ねん(はる)(ごろ)にはそれぞれ復帰(ふっき)していった。なお、当店(とうてん)三次(みよし)分室(ぶんしつ)戦時(せんじ)疎開(そかい)役割(やくわり)()え、20ねん11がつ30にち閉鎖(へいさ)された。
 (だい)2の課題(かだい)営業所(えいぎょうしょ)設備(せつび)建物(たてもの)(とう)復旧(ふっきゅう)であったが、応急的(おうきゅうてき)にガラス天井(てんじょう)修理(しゅうり)電気(でんき)(9がつ中旬(ちゅうじゅん))、水道(すいどう)電話(でんわ)(21ねん(はじめ)(とう)復旧(ふっきゅう)逐次(ちくじ)実施(じっし)され、工事(こうじ)は21ねん4がつ(まつ)一応(いちおう)完了(かんりょう)()いで同年(どうねん)5がつから本格的(ほんかくてき)復旧(ふっきゅう)工事(こうじ)着手(ちゃくしゅ)天井(てんじょう)ガラス()り、窓枠(まどわく)(てつ)格子(ごうし)()()け、壁塗装(かべとそう)工事(こうじ)(とう)完了(かんりょう)したのは同年(どうねん)11がつであった。


改修中の支店外観
改修中 かいしゅうちゅう支店してん外観がいかん
足場あしばまれており、工事こうじ前期ぜんき様子ようす施工せこう清水組しみずぐみ現在げんざい清水しみず建設けんせつ)。
改修中の支店内部
改修中 かいしゅうちゅう支店してん内部ないぶ
きゅうピッチの工事こうじなか職員しょくいん勤務きんむ精励せいれいしていた。


  なお、8がつ9にち長崎(ながさき)にも原爆(げんばく)(とう)()されたが、本行(ほんこう)事務所(じむしょ)所在(しょざい)した横浜(よこはま)正金(しょうきん)銀行(ぎんこう)支店(してん)(ばく)心地(しんち)からやや(はな)れていたこともあって、(おお)きな被害(ひがい)がなく、事務(じむ)所員(しょいん)一同(いちどう)無事(ぶじ)であった。これは不幸中(ふこうちゅう)(さいわ)いといえよう。
  悪夢(あくむ)のような第二次(だいにじ)大戦(たいせん)は、第一線(だいいっせん)戦場(せんじょう)銃後(じゅうご)国内(こくない)()わず、(おお)くの人命(じんめい)犠牲(ぎせい)(はら)って終結(しゅうけつ)した。
  戦争(せんそう)による本行(ほんこう)関係(かんけい)職員(しょくいん)()亡者(ぼうしゃ)は、総勢(そうぜい)四百名(よんひゃくめい)()える。このうち、戦死(せんし)ないし戦病死(せんびょうし)した(もの)は、男子(だんし)324(めい)(たっ)するほか、銃後(じゅうご)国内(こくない)空襲(くうしゅう)により死亡(しぼう)した(もの)が、男女(だんじょ)(けい)82(めい)(およ)ぶ。なかでも広島(ひろしま)原爆(げんばく)による()亡者(ぼうしゃ)(なか)ばを()めていることからみても、(いま)さらのように原爆(げんばく)被害(ひがい)(おお)きさを痛感(つうかん)させられる。
  しかし、敗戦(はいせん)本当(ほんとう)(くる)しみが(はじ)まるのは、むしろこれからであった。苦難(くなん)昭和戦(しょうわせん)後期(ごき)が、(ようや)(まく)()けようとしていた。


日本にっぽん銀行ぎんこう広島ひろしま支店してん開設(かいせつ)100周年(しゅうねん)記念(きねん)講演(こうえん)
被爆(ひばく)から(よみがえ)った広島(ひろしま)経済(けいざい)広島(ひろしま)とともに〜』
 (PDF 945KB)
  もと日本にっぽん銀行ぎんこう広島ひろしま支店長してんちょう篠原(しのはら)(こう)次郎(じろう)(さま)より被爆後(ひばくご)赴任(ふにん)された当時(とうじ)体験談(たいけんだん)やその()目覚(めざま)しい発展(はってん)()げた広島(ひろしま)経済界(けいざいかい)について講演(こうえん)していただき、(おお)くの方々(かたがた)熱心(ねっしん)(みみ)(かたむ)けていらっしゃいました。

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