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<鹿児島支店のその昔・・・@> 

 日本銀行と鹿児島のお付き合いは、昭和2年4月に鹿児島国庫事務取扱所(昭和5年6月に熊本支店鹿児島派出所と改称され、昭和12年7月に廃止<鹿児島銀行の前身である第百四十七銀行に国庫関係事務を委託>)を開設したときから始まりました。その後、太平洋戦争が勃発し、戦局が次第に悪化。本土寸断という最悪の事態の対策までも考えなければならなくなり、日本銀行では従来支店のない所に営業所を増設し非常事態に備えることとなりました。鹿児島支店はこのような事情の下で、昭和17年6月に大蔵大臣の開設許可を得て、昭和18年4月1日から鹿児島市東千石町(現在のアイムビル所在地)にて職員数74名で営業を開始いたしました。鹿児島支店の開設は、全国で22番目、九州では北九州、熊本、福岡支店に次いで4番目で、営業開始時は、鹿児島、宮崎両県に加え沖縄県 も管轄(終戦とともに鹿児島、宮崎の両県となる)していました。

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開設当時(昭和18年)の当店外観

開設当時の営業場の様子

 

 戦争真っ只中でのスタートであったため、正に日々命懸けの勤務であったようです。当時の記録をみると、昭和19年10月の沖縄大空襲後の善後措置と指導のため、職員2名が軍艦室戸で沖縄に向かう途中、敵潜水艦の魚雷を被弾し奄美大島沖で沈没しましたが、2名とも何とか無事救助され、名瀬市に避難したと記されています。また、昭和20年6月17日夜半の鹿児島市大空襲のときは、当店にも三十数発の焼夷弾が命中しました。当日宿直していた9名の職員は灼熱身を焦がさんばかりの中で、何回も防火用貯水池に飛び込み全身を濡らしながら、決死の覚悟で消火活動に当り、全てを鎮火させたそうです。その後は終戦までの間、城山の防空壕や姶良郡栗野町役場内に臨時営業所を開設し、業務を続行したそうです。

 なお、鹿児島市大空襲の際、市内の大半が戦災を被ったにもかかわらず、宿直職員9名の防火努力により木造である当店店舗の焼失を免れた功績を称え、今でも営業所敷地内に記念碑が残されています。

 この間、昭和21年2月に日向興業銀行(現宮崎銀行)内に宮崎駐在員事務所(昭和23年2月に宮崎事務所に改称)を開設しました。

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  鹿児島大空襲(昭和20年6月)

 太平洋戦争末期の大空襲は昭和20年3月から8月まで計8回あり、死者約33百人、家屋被害約2万戸、 市街地の約9割が焦土となる大きな被害を受けました。なかでも6月17日が最も大規模で、午後11時 過ぎ、B29百数十機により投下された焼夷弾は13万発に上ると言われています。これにより約23百人 が死亡、約12千戸が一夜で焼失しました。

  

  枕崎台風(昭和20年9月)

 終戦後間もない昭和20年9月17日に枕崎台風が襲来し、死者・行方不明129人、全・半壊29千戸、 農作物全滅という甚大な被害をもたらしました。さらに、同年10月には阿久根台風の被害が重なり、戦災 と度重なる自然災害の影響を受け、鹿児島県経済は、極度の困難に直面しました。

 

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