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<鹿児島支店のその昔・・・@>

 高度成長時代に突入し、鹿児島も戦災からようやく立ち直り、発展期に入っていきます。つれて当店業務も安定期に入りました。一方、職員9名の勇士により戦災を免れた木造の店舗は、会議室や廊下の床は球が転がるほど傾くなど、老朽化が目立ち始めました。そこで、新店舗建設に向けて土地の選定を始めましたが、鹿児島市は海と山に囲まれた細長い地形で市街地には必要なスペースのある余裕地がなく、土地の選定には大変苦労したようです。いくつかの候補地の中から昭和44年4月に現在店舗がある上之園町の土地が選ばれました。

<鹿児島支店のその昔・・・@>

新婚旅行ブームの火付け役

  川端康成原作の宮崎を舞台とするNHK連続ドラマ小説「たまゆら」が、昭和404月から翌年3月まで放映されました。ドラマの内容は、小説の主人公が定年退職後の第二の人生を、日本の神話、伝説、歴史、そして自然によって自分を洗い清めようとして古事記1冊だけを持って、朝日の直射す国、夕日の日照る国、日向の宮崎に向かうというもので、原作者である川端康成は、主人公同様古事記1冊だけを携え、宮崎市内をはじめ、日南海岸、美々津、高千穂、えびの高原などをくまなく歩き、その美しさに大変感動したそうです。このテレビ放映が大変好評で、宮崎への新婚旅行ブームに火をつけました。

 種子島宇宙センター初のロケット打ち上げ成功(昭和43年9月)、内之浦から国産衛星第1号が誕生(昭和45年2月)

  昭和41年、種子島が実用衛星の開発・発射基地として閣議決定され、翌年には宇宙開発事業団 が発足し、南種子島町に基地を建設する準備が始まり、昭和43年9月、第1号ロケットの打ち 上げに成功しました。また、種子島宇宙センターより先に開設(昭和38年)された内之浦ロケッ トセンター(鹿児島宇宙空間観測所)は、4回の失敗を経て昭和45年2月11日、ラムダL−4S −5型によって、わが国初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げました。これによりソ連・米・仏に 次いで4番目の人工衛星保有国となりました。

 

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  日南海岸に広がる“鬼の洗濯板”と青島神社

  内之浦ロケットセンターに展示されている模型

  溝辺町に鹿児島空港オープン(昭和47年4月)

  鹿児島市鴨池にあった旧空港(鴨池空港、昭和32年開港)の年間乗降客が当初の約2万 3千人から約150万人へと著増したことに対応するため、新空港予定地が決まった昭和 43年からわずか4年のスピートで、昭和47年4月1日、姶良郡溝辺町に新空港が開港 しました。新空港は3,000mの滑走路をもち、平成12年の年間乗降客は約611万人 と開港当初の4倍の水準に達しています。これは、国内の空港の中では第9位の規模と なっています。

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鹿児島空港面積は約182万u。奥に見えるのは桜島。

(写真提供:鹿児島空港ビルデイング<株>)

 

 鹿児島で太陽国体開催(昭和47年7月)

  第27回国体は「太陽国体」と名づけられ、昭和47年に鹿児島で開催されました。夏季 大会(昭和47年9月17日〜20日)は鹿児島市と鹿屋市で、秋季大会(同10月22 日〜27日)は鹿児島市の鴨池運動公園陸上競技場を主会場に県内21市町で開催されま した。鹿児島勢は夏季大会の2種目で総合優勝し、秋季大会でも軟式テニス・柔道他7種 目で総合優勝するという快挙でした。中でも軟式テニスは5種目完全優勝し、天皇杯・皇 居杯までも獲得しました。

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彫刻家本郷新氏によって作られ“太陽の賛歌と名付けられた、国体記念モニュメント

 

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