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3月の中旬頃になると南さつま市では特産の超早場米「金峰コシヒカリ」の田植えが行われますが、これを皮切りに県内では6月頃まで各地で田植えが続きます。私も小学生の頃までは5月の連休というと祖父母の田んぼの手伝いに駆出されました。泥に足を取られて思うように作業が進まず直ぐに腰が痛くなったり、長靴が邪魔になり素足で田んぼに入っていると気付かないうちにヒルが何匹も足に張り付いていたりと、慣れない田仕事で次々とやってくる予想外の事態に悪戦苦闘したように記憶しています。
農作業の機械化が進んだといっても、ぬかるんだ田んぼの中での田植え作業や泥だらけになった田植え機や育苗箱の洗浄作業など、農家の方々は今もご苦労が多いことと思います。東京などの大都市を除けばこうした農作業の風景は比較的身近にみかけることができると思いますが、鹿児島県の田園風景には、ちょっと珍しいものがあります。それは、「たのかんさあ」とよばれる田の神の石像で、田んぼのあぜ道などにちょこんと腰を下ろしています。
田の神は、その名の通り田んぼを守り、米の豊作をもたらす農耕神です。全国的にも稲作のある地域では多く信仰され伝承されていますが、それが石像として田んぼのあぜなどにあるのは、鹿児島を中心とした薩摩藩領内(鹿児島県本土および宮崎県南部)に限られているようです。正確な数はわかりませんが、現在も約2千体の「田の神さあ(たのかんさあ)」があると言われています。因みに、最も古いとされる「田の神さあ(たのかんさあ)」は鹿児島県さつま町のもので、江戸時代中期の宝永2年(1705年)の年号が刻まれています。
なぜ薩摩藩領内で田の神がこのようなかたちで広まったのか、はっきりしたことは分かっていないようですが、もともと火山灰性土壌のために土地がやせて稲作には必ずしも適さない環境にあったうえ、火山噴火や台風など幾度も大きな被害に見舞われるといった苦しい体験の中で、豊作への強い願いから独自の信仰のかたちが出来たのではないでしょうか。
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