にちぎん金沢おもしろコーナー

北陸出身の日銀総裁タブノキピシャリ?北陸3県のお金にまつわる話



北陸出身の日銀総裁

第17代・19代総裁の「新木栄吉(あらきえいきち)」は、石川県小松市の出身です。
歴代総裁のなかでも戦中、戦後の2度にわたって総裁に就任した人として有名です。
出身地の小松市では、同氏の功績をたたえ、市内の芦城公園に記念碑を建立しています。
歴代総裁一覧(日本銀行本店ホームページへリンク)
新木栄吉写真

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タブノキ

日本銀行金沢支店裏庭には、樹齢500年近くとも言われるタブノキ(別名タモの木)があります。
タブノキは、高さ約9m、地上幹周り約5.5mあり、金沢市民からも親しまれています。
タブノキ

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ピシャリ?

「ピシャリ」とは、日本銀行で計算が合致した時に使う言葉です。
そろばんの「ごめいさん」にあたる言葉です。
昔、1日の経理を無事終え、帳簿を閉じたときにでる音が「ぴしゃり」と聞こえたことから、計算等が合った時は大きな声で「ピシャリ」と言っています。

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北陸3県のお金にまつわる話

●和同開珎
1957年1月26日、金沢市三小牛町サコ山遺跡から580枚の和同開珎が出土しました。
この時、金銅の鈴や鉄板片・土師器片も出土しています(現在、京都国立博物館の保管)。
錆が付着し、破損するものを多く含みますが、すべて和同開珎とみられるので、奈良時代の和同銭の流通した時期に、なんらかの理由があって、サコ山の尾根に鈴や鉄製品などと一緒に埋めたものと考えられています。
一度に発見された枚数としては全国で最も多い事例です。

●紫式部
二千円札に登場する紫式部は、越前府中(現在の福井県越前市)に住んでいたことがあります。
996年、父の藤原為時が、越前国守に任ぜられたことに伴い引っ越してきたものです。

●福井藩札
1661年、福井藩は財源不足に苦しみ、幕府に願い出て藩札を発行しました。
これが、わが国最初の藩札といわれています。

●太政官札
福井藩士であった由利公正(ゆりきみまさ)は、福井藩での財政再建実績がかわれ、明治政府の会計係に登用されました。そして、明治政府の戦費調達のため、太政官札の発行に携わりました。

●日本銀行券の紙のルーツは福井県越前市
日本銀行券は、国立印刷局で印刷され、全国の日本銀行本支店から発行されています。
日本銀行券の紙の技術のルーツは福井県にあります。
1875年(明治8年)、政府は、偽造予防の観点から本邦固有の原資を選び、紙幣用紙を抄出(紙を漉くこと)するため、抄紙局を設置し製紙事業を開始しました。
大蔵省「印刷局沿革録」抄造工場の部、1875年(明治8年)5月の項に、「紙漉職工を越前国に募る。敦賀県には古来製紙専業の者多きを以て、同県庁と商議を逐げ、奉書、鳥ノ子、美濃紙等の製造に熟練せる職工数名を傭入れ、また須要の抄紙器具を購入す。」とあり、印刷局抄紙の源流が、越前製紙に発していることを物語っています。
また、「印刷局五十年略史」でも、「是より先旧藩札用紙の産地たる越前の岡本に漉工を募りたるに、其技に熟せる者男女七名岡本より募に応じて来りしを以て、全国より製紙原料を蒐集して参考となし・・・(略)」とあり、越前に、漉工を得た事情を明らかにしています。
越前の岡本は、現在の福井県越前市(旧今立町)です。

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