1.群馬県で発見された日本最古のお金


富本銭      和同開珎


1995年に群馬県藤岡市にある上栗須遺跡から「富本銭(ふほんせん)」と呼ばれるものが出土しました。これは、683年頃に造られたといわれるもので、最近の学説によれば、わが国最初の貨幣である可能性が高いとみられています。また、初めて本格的かつ継続的に造られ、わが国の広範囲にわたって流通したとみられる貨幣「和同開珎(わどうかいちん・わどうかいほう)」も、群馬県において計15枚が出土しています。当時の奈良の都から遠く離れた場所で、このようにまとまって発見された例はほとんどありません。これは、当時の政治の中心である近畿地方や九州地方などを除いた地域において、ここ群馬の地がとりわけ経済的に進んでいた地域であったことを物語っています。

(画像提供:奈良文化財研究所、日本銀行金融研究所貨幣博物館)

2.足尾銅山で造られた「寛永通宝」


寛永通宝足字銭


江戸時代に造られた代表的な銭貨として「寛永通宝」があります。「寛永通宝」は江戸幕府の公鋳貨として1634年から幕末までの230余年にわたり、全国各地で鋳造・発行されました。群馬県近隣においても、江戸幕府が銭貨鋳造希望者を公募したことに対応するかたちで、下野足尾(現:栃木県足尾町)に「足尾銭座」が開設され、寛保年間(1740〜1743年)に、足尾銅山で産出される銅を原料として寛永通宝一文銭が造られました。この銭貨の裏側には「足」という文字があることから、「足字銭」と呼ばれています。

(日本銀行調査局編「図録日本の貨幣 第3巻」)

(画像提供:日本銀行金融研究所貨幣博物館)

3.群馬県内で流通した「鉛切手銭」


鉛切手銭


江戸時代末期、小額通貨の不足を補うために「鉛切手銭」と呼ばれるものが発行されました。この鉛切手銭は現在の渋川市を中心とした地域の商家が釣銭の代わりに任意に発行したものが主流をなし、額面は当時最も需要の大きかったと考えられる二十四文のものが圧倒的に多く、そのほかでは百文、十六文などが存在しています。

(日本銀行調査局編「図録日本の貨幣 第4巻」、梅澤信夫「留書上州鉛銭」)

(画像提供:日本銀行金融研究所貨幣博物館)