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愛媛県の祭事

愛媛県地図 椿まつり 道後温泉まつり 松山まつり うまじま牛鬼まつり おんまく 西条まつり 新居浜太鼓祭り

椿まつり

開催地

 松山市〔伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)神社〕

開催日

 1月下旬〜2月下旬の3日間(旧暦の1月7日〜9日なので、毎年開催日が違います)

概 要

 縁起開運・商売繁昌の神様である伊豫豆比古命、伊豫豆比売命(いよずひめのみこと)、伊与主命(いよぬしのみこと)、愛比売命(えひめのみこと)の四柱(よばしら)をお祭りした、椿神社の新春の祭礼です。伊予路(いよじ)に春を呼ぶお祭りで、「椿さん」の愛称で親しまれています。
 縁起開運、商売繁盛を祈願しようと、境内や参道を埋め尽くすほどの大勢の人々が参拝に訪れます。おみくじで運勢を占ったり、所狭しと立ち並ぶ露店でさまざまな縁起物(おたやん飴や縁起笹など)を購入して、その年の福を求めます。
 祭りの中日には、御祭神をお遷(うつ)しした神輿を静々と門外からかき出す「お忍びの渡御(とぎょ)」、渡御の道筋にある家々がお正月飾りを焚いて神迎えする「合せ火」が行われます。また参拝客が、一年間生活に励んで翌年無事にお返しの参拝ができることを祈り、神社からお守りがわりに少額(20円)の「守り金」を借りて、翌年に倍額にして返すという「貸銭神事(かしぜにしんじ)」も行われています。

椿まつり風景椿まつり風景

椿神社提供「椿まつり」

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道後温泉まつり(松山春まつり)

開催地

 松山市〔道後温泉周辺〕

開催日

 3月19日〜21日(3日間)

概 要

 温泉に感謝して今後の繁栄を祈るという温泉地ならではの「湯祈祷(ゆきとう)」(注)や「湯の奉納」などの神事に始まり、「道後温泉おどり」やみこしも登場するなど、さまざまな祭事が行われます。
 最終日には、市民が聖徳太子や秋山兄弟、夏目漱石、正岡子規など、道後温泉や松山ゆかりの人物に扮して道後を歩く「道後温泉時代パレード」も行われ、祭りに華やかさを添えています。
 4月(第1金・土・日曜日)には、歌謡チャンピオン大賞を皮切りに、野球拳全国大会や大名・武者行列などのイベントが行われる「お城まつり」がにぎにぎしく開催されますが、「道後温泉まつり」と「お城まつり」を合わせて、「松山春まつり」と呼んでいます。

(注)宝永4(1707)年10月の大地震で道後温泉の湧出(ゆうしゅつ)が止まりましたが、翌5(1708)年1月29日に湧き出たことに町民が感激し、毎年湯の神に感謝するとともに町内の繁栄を祈る湯祈祷が行われるようになりました。

道後温泉時代パレード道後温泉まつり風景

道後温泉旅館組合提供「道後温泉まつり」

歴 史

 昭和21(1946)年の南海大地震の折にも、全源泉が閉塞(へいそく)する事態に陥りましたが、昭和22(1947)年に奇跡的に再び源泉が湧き始めました。この時の祝賀行事を、湯祈祷と合わせて行ったのが始まりです。その後、昭和25(1950)年に「道後温泉まつり」となり、昭和58(1983)年からは「松山春まつり」の行事として実施されるようになっています。

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和霊大祭・うわじま牛鬼まつり

開催地

 宇和島市〔和霊(われい)神社・中心商店街周辺〕

開催日

 7月22日〜24日(3日間)

概 要

 全長約8mに及ぶ全身を赤い布か棕櫚(しゅろ)の毛で覆い、カッと開いた口が恐ろしい鬼面の頭を持つ牛鬼(注1)は、邪気を払うといわれ、子供達が吹き鳴らす「ブーヤレ」という竹ぼらの音に合わせて、長い首(約4〜5m)を上下左右に振りながら群集の中を練り歩き、家々に首を突っ込んで悪魔払いをします。
 また、市営闘牛場では、闘牛大会が開かれるほか、きさいやロードでは、宇崎 竜童氏作曲の「ガイヤ・オン・ザ・ロード」の激しいビートに乗って踊る「うわじまガイヤ(注2)カーニバル」などが行われます。
 最終日には、夕刻宮出しした三体の神輿を船に乗せて海上渡御(とぎょ)し、朝日運河に上陸したのち須賀川に入り、しぶきを飛び散らしながら勇壮に和霊神社社殿に駆け上るという有名な「走り込み」でクライマックスを迎え、祭りの幕を閉じます。
 なお、牛鬼は秋祭り(宇和津彦神社)においても、「八ツ鹿(やつしか)踊り」(注3)とともに披露されています。

牛鬼まつり風景牛鬼アップ

宇和島商工会議所提供「牛鬼まつり」

(注1)牛鬼の由来は諸説ありはっきりしませんが、文禄元(1592)年、豊臣 秀吉公に朝鮮出兵の命を受けた加藤 清正公が韓国の城を攻める際、城の上から放たれる矢や、投げつけられる石を防ぐために造った「亀甲車(きっこうしゃ)」(堅板で箱の形を作り、それを牛革で包んで、牛の生首を棒に刺して先頭に掲げ、中に兵士が入って攻め戦ったものといわれている)が始まりといわれています。
 加藤 清正公はこの「亀甲車」を使い見事に城を陥落、その武勇伝を従軍した藤堂 高虎(とうどう たかとら)公が宇和島に伝えたとされています。

(注2)「がいや」とは、「すごい」という意味の宇和島地方の方言です。

(注3)仙台藩主伊達 政宗公の長庶子である伊達 秀宗公が宇和島藩主となった際に、仙台の「鹿(しし)踊り」を持ち込んだのが始まりとされています。12〜13歳の少年8人が、上半身をすっぽりと覆う紅染の布が長く垂れた鹿の頭をつけ、手甲・脚半(きゃはん)に草履履きという格好で、胸につけた太鼓を打ち鳴らしながらゆったりと優雅に舞う踊りです。

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松山まつり

開催地

 松山市

開催日

 8月11日〜13日(3日間)

概 要

 賑やかな野球サンバや名物の野球拳踊りが主な行事となり、これらの踊り連が松山市中心街を練り歩き、多くの観衆が沿道に詰めかけます。
 平成13(2001)年からは、半世紀続く「松山港まつり」の花火大会が特別協賛として加わり、水中花火や仕掛け花火などで一層の華やぎをみせています。

松山まつり風景松山港まつり

松山市役所提供「松山まつり」

エピソード

 平成17(2005)年には、野球拳を全国に広めた、タレントの「欽ちゃん」こと萩本 欽一さんが、市民と一緒に野球拳のメロディーに乗って、野球拳発祥の地を練り歩き、一層の盛り上がりをみせました。

歴 史

 松山市内の各所で行われていた盆踊りを統一して観光地・松山市の目玉にしようと、昭和41(1966)年に「松山おどり」として始まりました。当時はお能の舞をヒントに考案された、マンボ調の踊りの「伊予松山の鼓踊り(つづみおどり)」が行われていました。しかし、参加者により馴染みやすい踊りにしようと、昭和45(1970)年に現在の「野球拳踊り」が考案され、昭和47(1972)年の第7回から名称が「松山まつり」となりました。松山市制100周年を迎えた平成元(1989)年からは、新たに野球サンバを加え、現在に至っています。

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おんまく

開催地

 今治市〔今治港、銀座商店街、本町商店街周辺〕

開催日

 8月の第1土・日曜日

概 要

 踊り・郷土芸能・花火の三本柱で構成。踊りには、「木山音頭(きやまおんど)」(注1)、「今治お祭り音頭」(注2)、「ダンスバリ」(注3)と3つの中心となる踊りがあります。郷土芸能では、今治周辺の伝統芸能が一堂に会し、文化の保存、振興、発展を願います。フィナーレを飾る「おんまく夢花火」は、花火と音楽で贈るエンターテインメントショーで、中四国最大級の規模を誇ります。

ダンスバリ伝統芸能継獅子おんまく夢花火

今治商工会議所提供「おんまく」

(注1)「木山音頭」は、慶長7(1602)年、築城の名人といわれた藤堂高虎(とうどうたかとら)公が、海水をお堀に引き入れた、全国的にも珍しい海岸平城(かいがんひらじろ)の今治城を築城した際に、人夫達の慰労と普請の能率向上のためにつくられた踊りが始まりといわれています。

(注2)「今治お祭り音頭」は、今治市制60周年を記念して市民公募により作られたものです。

(注3)「ダンスバリ」(バリとは今治のバリを取ったもの)は、チト・河内(かわうち)氏作曲による軽快なリズムとエスニックなメロディーにあわせ、アイディアいっぱいの奇抜な衣装を身につけた踊り子が、自由な振り付けで踊るオリジナルダンスです。

歴 史

 「おんまく」は、「めちゃくちゃ、いっぱい、おもいっきり」という意味を表す言葉で、以前から行われていた今治商工会議所主催の「港祭り」と、青年会議所主催の「バリ祭(さい)」とが、平成10(1998)年に統合され、現在に至っています。

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西条まつり

開催地

 西条市〔嘉母(かも)神社・石岡神社・伊曽乃(いその)神社・飯積(いいづみ)神社)〕

開催日

 体育の日の前々日と前日および10月14日〜17日(6日間)

概 要

 西条市内の4か所の神社において行われており、屋台(だんじり)(注)、みこし、太鼓台など神社により異なる山車(だし)が、市内を練り歩く賑やかなお祭りです。
 中でも伊曽乃神社の祭礼が最も規模が大きく、初日(15日)の午前2時頃、100張(はり)にも及ぶ提灯を灯して美しく飾った80台余りの屋台(重さ約600〜800kg、高さ約5m)を、担ぎ手(15〜20人/台)が神社石段を担ぎ上げ宮出しします。屋台に施された透かし彫りなどの装飾が提灯の灯りに映し出され、幻想的な雰囲気を醸しだす中、お囃子(はやし)や太鼓、鉦(かね)の音頭に合わせた勇壮な「かき比べ」が明け方まで披露されます。翌日(16日)、加茂川を渡って神社に御宮入りするみこしを見送るため、土手沿いに屋台が一列に並ぶさまは壮観で、祭りの名残を惜しんでその行く手を阻もうと、屋台とみこしが川の中で水しぶきをあげながら競り合う「川入り」は、大変な盛り上がりをみせています。

かきくらべ川入り川入り

西条市役所提供「西条まつり」

(注)江戸時代に西条に伝わったとされる屋台は、歴代の西条藩主に保護奨励されました。江戸時代後期の祭礼の様子を描いた「伊曽乃大社祭禮絵巻」(伊曽乃神社所蔵)が現在に伝わっています。

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新居浜太鼓祭り

開催地

 新居浜市

開催日

 10月16日〜18日(3日間)

概 要

 全国的にも有名な愛媛県下屈指のお祭りです。中央内部に太鼓を据えた大型(重さ約2.5t、高さ約5.4m、長さ約11m、横幅約3.4m)の太鼓台(山車)を、約150人の「かき夫(ふ)」と呼ばれる男衆が担ぎ、市内を練り歩きます。金糸で刺繍された豪華絢爛な布団締めや幕、天幕などで美しく飾った太鼓台を、かき夫が太鼓の音頭や指揮者のかけ声に合わせて高く担ぎ上げ、その時間の長さを競い合う勇壮華麗な「かき比べ」は迫力満点で、「男祭り」との異名をとっています。

かきくらべ太鼓台

新居浜市役所提供「新居浜太鼓まつり」

歴 史

 太鼓台の歴史は、現在のところはっきり答えられる資料は確認されておりません。地域の伝承によると、平安あるいは鎌倉時代までさかのぼるといわれおり、御輿のお供をする山車の一種で、豊年の秋を感謝して氏神に奉納したものだそうです。現在のような大型で豪華な太鼓台が登場し、祭りの花形となったのは、別子銅山が開坑し地域経済が発達した明治中期以降になります。現在、49台の太鼓台がお祭りで活躍しています。

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