新しいお札の登場人物と中部地方

(資料出所)野口英世記念館、明治村

■(医学に捧げた人生)
野口英世 野口英世記念館絵葉書
 黄熱病や梅毒菌の研究で有名な野口英世(幼名清作)博士は、明治9年(1876年)、福島県翁島村(今の猪苗代町)で、貧しい農家の長男として生まれました。1歳7ヶ月の時、いろりに落ちて左手に大火傷を負い、15歳の時に会津若松の病院(会陽医院)で手術を受けましたが、完治することはありませんでした。しかし、英世は手術を通じて医学の素晴らしさを知り、16歳の時に手術を受けた会陽医院に薬局生として入門、医学の道を志すことになったのです。
 19歳の時に上京、20歳で医学開業試験に合格した後は、ペスト菌や破傷風菌の発見で有名な北里柴三郎博士が設立した私立伝染病研究所の助手などを経て、24歳の時に渡米、世界最大の医学研究所ロックフェラー医学研究所に勤務することになりました。同研究所では、梅毒スピロヘータの純粋培養に成功したほか、スピロヘータ・パリーダを検出発見するなど輝かしい功績を残しました(因みに、当時、英世はノーベル賞候補に何度も上げられたと言われていますが、第1次世界大戦の影響により4年間受賞者が出なかったため、受賞することはありませんでした)。昭和3年(1928年)、西アフリカ・アクラで黄熱病の研究中に感染し殉職しました。51歳の若さでした。
■(英世の恩師北里柴三郎)
北里研究所 北里研究所(明治村に移築)
 英世は若くして海外に渡ったため、東海3県との縁はそれほど深くはありません。もっとも、英世の恩師である北里柴三郎が東京都白金に設立した北里研究所が犬山市の明治村に移築されています。
 北里博士の助手であった英世は、博士から来日中のアメリカのS.フレキシナー博士の案内役を任されたことが縁でアメリカで研究をするチャンスを得たのです。建物内には英世が北里柴三郎にあてた書簡(北里柴三郎に対する爵位授与のお祝い等)等が展示してあり、師弟関係の深さが窺われます。
 因みに、引続き一万円札に起用される福澤諭吉は、北里博士の恩人として紹介されています。諭吉は博士が伝染病研究所を建設する際に東京都白金の土地を提供したり、研究所の周辺住民が伝染病研究への反対運動を起こしていることを知るや、励ましの書簡を送るなど、様々な形で博士を支援したそうです。

■(若き日の英世を偲ばせる会津若松の街並み)
安田銀行会津支店 安田銀行会津支店(明治村に移築)
 明治村には英世が青春時代を過ごした会津若松の建物も移築されており、当時の生活振りの一端を窺い知ることができます。
 右の写真は、英世の生家の程近くにあった安田銀行(今のみずほ銀行)会津支店です。伝統的な土蔵造りがもとになっていますが、玄関の石柱、正面と 安田銀行窓口右側面の石積の腰壁、窓の太鉄格子など、要所に洋風のデザインが施されています。英世は19歳まで会津若松で過ごしましたから、ひょっとしたらこの銀行を利用していたかも知れませんね


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