支店長のコラム



■ 2012年 5月10日 「静岡県の個人消費は?」
■ 2012年 5月10日 「小夜の中山、峠を越えて」
■ 2012年 5月10日 「風を感じる静岡まつりと浜松まつり」
■ 2012年 4月11日 「短観のグラフが示すもの」
■ 2012年 4月11日 「伊豆の古くて新しい魅力」
■ 2012年 4月11日 「養殖池古今東西〜深川、浦安、浜名湖」
■ 2012年 3月14日 「デフレ脱却と地域資源」
■ 2012年 3月14日 「明治トンネルと民間の力」
■ 2012年 3月14日 「厳寒の秋葉街道」
■ 2012年 2月 8日 「久能山の長い石段」
■ 2012年 2月 8日 「富士山麓の澄んだ湧き水」
■ 2012年 1月12日 「明けましておめでとうございます」
■ 2012年 1月12日 「海・川・峠の五十三次」
■ 2011年12月15日 「デフレと金融政策」
■ 2011年12月15日 「静岡の海〜伊豆、駿河湾、遠州灘」
■ 2011年11月 9日 「天竜川の風景」
■ 2011年11月 9日 「芸術、芸能、自然と人」
■ 2011年11月 9日 「短観で見る静岡県経済」
■ 2011年10月11日 「西伊豆で震災を思う」
■ 2011年10月11日 「遥かなる富士山頂」
■ 2011年 9月 8日 「オープン講座の講演資料を掲載しました」
■ 2011年 8月24日 「南アルプスの短い夏」
■ 2011年 8月24日 「自然災害と経済」
■ 2011年 8月24日 「愛媛から静岡へ」


■ 2012年 5月10日 「静岡県の個人消費は?」
 

 静岡県の個人消費に関するレポートを公表し、当ホームページの「静岡県金融経済トピックス」のコーナーにアップしました。

 県内の個人消費は、東日本大震災の後で弱まったあと、次第に持ち直しに向けた動きが見え始めていますが、全国に比べれば出遅れ感が否定できません。最近は有効求人倍率の上昇など好材料もありますが、製造業の先行き見通しが不透明なこともあり、手放しで楽観はできません。

 震災後にみられる省エネ、食の安全、健康、防災といった消費者のニーズを捉え、これからの人口構成の変化や社会の動きにマッチしたビジネスを行っていくことが今後の課題になっていくと思います。ご興味のある方は是非お読みください。

 これからも、皆さまに有用な情報発信に努めていきたいと思います。

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■ 2012年 5月10日 「小夜の中山、峠を越えて」
 

 静岡にある東海道の峠といえば薩捶<←本当は土偏です>(さった)峠や宇津ノ谷峠の名をよく聞きますが、「箱根、鈴鹿と並ぶ東海道の難所、小夜の中山(さよのなかやま)」を知りました。五十三次の日坂(にっさか)宿の近くだそうです。休みの日にぶらっと歩いてきました。

 掛川駅からバスで日坂宿へ。日坂は小さな宿場で、旅籠「川坂屋」をはじめ昔の雰囲気が残されています。各建物には木の札で昔何だったかが表示されており、地元のボランティアの皆さんが親切に説明してくれます。宿場跡がとても大事にされていました。

 日坂宿を東に向かうと小夜の中山です。難所というだけあってかなり急な坂ですが、生活道路なので舗装されて車も通れます。汗をかきながら坂を登りきり、風に吹かれて気持ちよく歩くと、江戸時代から続く飴屋さんの古い建物。広重の浮世絵にも描かれた「夜泣石」にまつわる名物「子育飴」を買いました。

 近くの「佐夜の中山公園」(なぜか字が違います)に行くと、富士山や雪をいただく南アルプスの山々が遠くに見えました。遠く鎌倉時代に西行法師が読み新古今和歌集に収められた歌の碑もここにあります。この場所は本当に昔から人が往来していたのですね。

 「年たけて また越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山」

 急坂を下りると、日坂宿と金谷宿の間に置かれた間の宿(あいのしゅく)である菊川の里です。日坂宿のボランティアの方によれば、もともとは菊川が宿場でしたが、江戸時代になって日坂宿が作られ、菊川は間の宿になったそうです。菊川で地元の方々に交じってとろろそばを食べました。

 さらに歩くと、金谷宿に近づいてきます。ここには何か所か、旧東海道の石畳があります。昔からのものもあれば近年再現されたものもあるそうですが、木漏れ日の注ぐ石畳の急坂を歩くと江戸の昔にいるようです。金谷駅に着いて、現代に舞い戻ってきました。

 歴史と自然を感じる楽しい東海道ウォーキングでした。惜しむらくは、菊川の里より東が島田市になるため、掛川でもらった地図に道が載っておらず、歩くのに少し苦労しました。市町を越えた案内図などがあると歩く人は助かるかもしれませんね。

 最後に蛇足ですが、4月14日、現代の東海道とも言うべき新東名高速道路が開通しました。寄稿文を「寄稿文・講演資料」のコーナーに載せましたので、ご覧いただければ幸いです。

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■ 2012年 5月10日 「風を感じる静岡まつりと浜松まつり」
 

 昨年は震災の影響で中止された静岡まつりと浜松まつりが今年は行われました。それぞれ違った意味で春の風を感じました。

 4月7日と8日、静岡まつりの大御所花見行列に参加し、職場の同僚とともに江戸時代の装束を着て街を練り歩きました。和服らしい和服を着たのは四半世紀前の結婚式以来ではないかと思います。しかも今回は大名の姿。貴重な経験でした。

 和服で町を練り歩いて感じたのは、身体中を風が通り抜けるような感覚です。スースーと隙間風が入るようで寒いといえば寒いのですが、慣れてくると、空気と一体、自然と一体となったような気がしてきました。

 自然と一体といえば、一緒に参加した同僚が旗本の装束を着ていましたが、彼らのかぶる編み傘は現代の傘と異なり金属の骨もなく、朽ちて果てればそのまま土に帰り、新たな生命活動のもととなります。江戸時代が自然と一体となったリサイクル社会というのも分かるような気がします。

 駿府城から御幸町通り、呉服町通りと練り歩きましたが、町中すごい人出でした。町並みはもちろん現代のものですが、吹き抜ける風に江戸時代の生活を感じました。

 5月3日には浜松まつりを見ました。同じ風でも、こちらは「遠州のからっ風」で有名な強風地帯です。浜松まつりの昼の部は、そのからっ風に乗って空を舞う凧揚げ合戦。凧同士が糸を切り合う激しい糸切り合戦なども行われるようですが、その日は午前中雨で、午後行った時には凧の数もまばら。平和な凧揚げでした。

 地元の方が凧を揚げようとしています。何度か試み、ひとたび風を捉えるとスルスルと上がっていきます。初めて訪れた中田島砂丘の広い砂の上…風に乗って青空に高く高く舞い上がり、点のように小さくなった凧の姿を眺めていました。

 夜は祭りの衆が浜松の駅前を練り歩きます。ラッパ隊に先導された威勢のいい「合同練り」や、鉦や太鼓や三味線の方々が乗って市中を回る豪華で小粋な御殿屋台…。すごい人出です。夜闇が濃くなるにつれ、お祭りがどんどん盛り上がっていきました。

 雅な静岡まつりと豪壮な浜松まつり、全く異なる春の風を感じたひとときでした。

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■ 2012年 4月11日 「短観のグラフが示すもの」
 

 4月2日、日銀のアンケート調査「短観」3月調査の結果を公表しました。その主な内容をグラフにしたものを「支店長寄稿文・講演資料」のコーナーに掲載しました。

 今回特筆すべきは、リーマンショック以降長らく全国を下回っていた静岡県企業の業況判断DIが、4年ぶりに全国に追いついたことです。

 もう少し細かく見てみますと、製造業は東日本大震災以降の持ち直しの勢いが強く、全国を上回る水準になっています。一方、非製造業はリーマンショック以降継続的に全国を下回ってきましたが、今回調査では大きく改善しています。

 これらの動きが合わさって全国に追いついた訳ですが、注意すべき点もあります。製造業は全国を上回って持ち直していますが、持ち直しのペースは緩やかになっています。非製造業は今回大きく改善しましたが、その要因は今冬の寒さや昨年の台風の復旧工事といった一時的なものも含まれているとみています。

 このため、先行きについては慎重な見方が多く、再び全国を下回る見通しとなっています。「企業マインドは改善したが、一時的要因に支えられている部分もあり、先行きについては慎重になっている」ということかと思います。

 2012年度の経常利益は前年比小幅増益の予想ですが、収益環境は、仕入価格が上昇しているのに販売価格は下落しているという苦しい状態が続いています。設備投資計画は前年並みですが、設備の過剰感は根強いという結果も出ています。一方で、業況判断の改善に伴い雇用人員の過剰感が薄れてきているという好材料も出てきています。

 このように、全国に追いついたとはいえ強弱いろいろな要素があり、静岡県の企業マインドは微妙な段階に差しかかっています。引き続き、経済指標のほか個別企業の状況などもうかがいながら正確な景気判断に努めて参ります。

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■ 2012年 4月11日 「伊豆の古くて新しい魅力」
 

 小さい頃、親に連れられて何度か伊豆を旅しました。伊豆といえば温泉観光地の代表。社内旅行で大宴会、夜は浴衣で街に繰り出して・・・といったイメージが強くありました。

 昨年5月に静岡に来てから公私合わせて7回ほど伊豆を訪ねましたが、昔とはイメージがかなり変わっているようです。バブル崩壊以降、社内旅行は減少し、個人旅行も低価格志向が強まるなど、従来からのホテル旅館にとっては厳しい状況となっています。

 温泉街のイメージは薄れましたが、訪ねてみると伊豆はやはり魅力的な場所です。

 伊豆には様々な温泉がありますが、熱湯が噴き出る硫黄泉から低温でプレーンな温泉まで、泉質はかなり異なります。海岸の露天風呂から内陸の緑に囲まれた秘湯まで環境も様々です。温泉毎の特色を分かりやすく説明すればリピーターが増えるのではないでしょうか。

 温泉には新しい効用も期待できます。大震災以降、新エネルギーの開発が課題になっていますが、温泉熱発電もその一つです。また、高齢化と健康志向が進む中で「湯治」も改めて注目されていくでしょう。実際、温泉の隣に病院が建設されていました。

 豊かな温泉のある伊豆半島はフィリピン海プレートの北端にあり、南からやってきて50万年以上前に日本列島にドッキングしたそうです。そうした特質を活かし、ジオパークとして登録しようという動きが出ています。確かに、堂ヶ島の海の洞くつなど独特のものです。各地に地質学上の特色を表示すれば、見慣れた観光地に新しい魅力が加わるでしょう。

 伊豆は様々な歴史の舞台でもあります。

 先日、下田から韮山を訪ねてきましたが、下田の玉泉寺に置かれたハリスの米国領事館、外国船を打ち払う大砲を作ろうと最新技術を結集した韮山反射炉など、幕末のストーリーを改めて感じました(10月のコラムで紹介した西伊豆・戸田のディアナ号事件も幕末です)。

 韮山反射炉のすぐ近く、源頼朝が平清盛に流されて北条政子と出会ったと伝わる「蛭ヶ小島(ひるがこじま)」にも行きました。伊豆は源氏や北条氏のゆかりの地でもあるのです。

 このような伊豆の様々な魅力をもう一度捉え直し、国内のみならず富士山静岡空港に降り立つアジアの観光客にもアピールすれば、観光地としてさらに発展できると思います。

 話は変わりますが、3月末で静岡新聞「窓辺」の連載を終了しました。ご愛読ありがと うございました。この間、多くの方に励ましのお言葉をいただきました。この場を借りて 心より御礼申し上げたいと思います。

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■ 2012年 4月11日 「養殖池古今東西〜深川、浦安、浜名湖」
 

 浜名湖のうなぎにまつわる話です。

 個人的な話で恐縮ですが、私は東京下町の江東区、昔の深川に生まれ育ちました。深川は江戸時代に埋め立てられた低地で、明治時代には養殖池が沢山ありました。私の一族はそこで金魚やうなぎの養殖をしていたようです。

 郷土史に興味を持つ私の父によれば、明治の終わり、私の祖先の一族のひとりが開通したばかりの東海道線に乗って名古屋に行った時、浜名湖を見て養殖の好適地だと感じ、地元の方々とともにうなぎの養殖に取り組んだそうです。浜名湖の養殖は、その後スッポンなどにも広がりをみせました。

 その後、深川の養殖池は千葉県の浦安に移りました。私がまだ小さかった昭和40年代、浦安の養殖池で祖父が金魚をより分けるところを横で眺めていました。

 時は流れ、養殖池は大きく変わりました。

 昔の浦安は漁村で、養殖池近くの川に小さな船がぎっしり並んでいました。しかし、埋め立てで街は新しくなり、今や浦安と言えばリゾートとホテルと新興住宅地です。

 浜名湖も変わりました。うなぎの養殖は海外産などに押されて縮小し、養殖池の多くは埋め立てられて工場や巨大小売店になったと聞きます。この周辺の主要産業は、繊維を経て自動車等の輸送用機械となり、日本経済を牽引しています。残った養殖業は「浜名湖のうなぎ」というブランドを確立し、健康食品分野に進出するなど新しい動きも出ています。

 最近では、浦安が東日本大震災による液状化で被害を受け、浜名湖周辺も工場の海外進出で空洞化が懸念されていますが、これまで幾多の時代の流れをくぐりぬけてきた両地域だけに、これからも時代の変化にしなやかにしたたかに対応していかれると信じています。

 私の生まれ育った深川も変わりました。小さい頃、お正月には木場の貯木場で角乗りが行われていましたが、今はありません。しかし、街にはおもちゃ屋や駄菓子屋が並んでいた昔の雰囲気がどこか残っています。淡い思い出を残しながら、時代は前へ進んでいきます。

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■ 2012年 3月14日 「デフレ脱却と地域資源」
 

 新しい講演資料をホームページの「支店長寄稿文・講演資料」のコーナーに掲載しました。

 日本銀行は2月14日、デフレ脱却を目指し、消費者物価前年比1%を目指して強力な金融緩和を行うことを公表しました。今回の資料では、同措置やその背景となる経済情勢について説明しています。

 一方、デフレ脱却のためには金融緩和だけでなく成長力強化も必要であり、そのためには新分野の開拓や経済の構造転換のほか、各地域がそれぞれの資源を最大限活用していくことも重要になると思います。今回の資料では、静岡県の豊かな地域資源の活用についても触れています。

 先月ご紹介した静岡新聞「窓辺」でも、静岡の地域資源や日銀の役割などについていろいろと書かせていただいています。こちらも本ホームページに順次掲載していますので、どうぞご覧ください。

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■ 2012年 3月14日 「明治トンネルと民間の力」
 

 静岡の市街地から西に少し行ったところに、宇津ノ谷峠があります。ここは東海道の要衝であるとともに、平安時代から現代までのさまざまな道が通っています。

 平安時代の「蔦の細道」は細く険しく、峠を越えるのに一苦労します。江戸時代の東海道は大名行列が通っただけあって広くて緩やか。明治トンネルはレンガ造りの歩行者用トンネルで、大正トンネルは車も通る旧道。昭和トンネルと平成トンネルは東名高速に次ぐ動脈でものすごい交通量です。

 一つの峠を通る古今さまざまな道は、人間の営みの歴史を物語っているようです。蔦の細道で汗をかき、明治トンネルを見たあと東海道をゆっくり帰ると、森林浴も兼ねた気持ちのいい歴史散歩になります。東海道沿いの宇津ノ谷集落もひなびたいい風情です。

 私が興味をひかれたのは明治トンネルの逸話です。このトンネルはもともと民間の方がお金を出し合って掘った木造トンネルで、全国初の有料トンネルとして栄えましたが、ある時火事で崩れ、レンガで修復されたそうです。「坂の上の雲」の時代、世の中のニーズを見越して自力でトンネルを掘り、商売にした当時の人々の気概を感じます。

 今の感覚では、崩れそうなトンネルで商売するなどとんでもないと言われかねませんが、時代時代の起業家スピリットが新たな成長を生み出すことも事実でしょう。こうした静岡の起業家スピリットは今も脈々と受け継がれ、今後も経済を支えていくと思います。

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■ 2012年 3月14日 「厳寒の秋葉街道」
 

 浜松市中心部からずっと北、天竜区の春野に秋葉山(あきはさん)という山があります。火防の神様がここにいて、全国の秋葉信仰の総本山だそうです。東海道を歩くと「秋葉常夜燈」という燈篭をよく見かけますが、火事を恐れながらも光を求めた昔の人の気持ちが分かるようです。東京の秋葉原の地名の由来でもあります。

 秋葉山の山頂に秋葉神社の上社があります。有名な12月の火まつりは、しんしんと冷える深夜、神職が松明を持って幻想的な「火の舞」を踊る神秘的なものです。

 新年には、秋葉山麓の下社から山頂の上社まで歩いて登りました。きつい登り坂を1時間半強、秋葉寺(しゅうようじ)を通ってへとへとになりながら上社に着きました。頂上から見ると、遠州灘がキラキラ光り、そこに注ぐ天竜川は竜のようにくねりながらキラキラ光っています。神々しい風景でした。

 秋葉山に通じる道を秋葉街道と言い、遠州と信州を結んでいます。遠州灘でとれた塩などの生活物資が運ばれたことから「塩の道」とも呼ばれたそうです。

 秋葉山から秋葉街道を北に向かうと水窪(みさくぼ)です。このあたりは昔、荘園だったそうで、「奥領家」「地頭方」といった地名は武士が台頭した鎌倉時代の名残でしょうか。水窪の西浦(にしうれ)に伝統芸能の田楽(でんがく)を見にいきました。厳寒の2月、巨大な松明が焚かれ、笛や太鼓に合わせて踊ります。夜中から朝まで、近くの民宿での仮眠をはさんでずっと立って見ていました。身体が芯から冷えました。

 西浦の北は長野県境です。このあたりは中央構造線が走っていて地盤がもろく、現代の秋葉街道である国道152号線は県境の青崩峠で車両通行不能となっています。青崩峠の手前から草木トンネル経由で兵越峠(ヒョー越)を越えて長野県に入る迂回ルートがありますが、この草木トンネルはもともと自動車専用の三遠南信道として建設されたもので、秘境に突如現れる巨大な道路に圧倒されます。

 武田信玄は青崩峠や兵越峠を通って遠州に攻め込み、三方ヶ原の戦いで徳川家康を破ったそうです。巨大道路から急に細くなる峠の道を騎馬軍団が走っていく幻を見たような気がしました。

 秋葉街道沿いは山の幸に恵まれ、信州と似てイナゴや蜂の子を食べますが、冬の味覚と言えば猪鍋でしょう。この冬、天竜川近くの船明(ふなぎら)と佐久間で食べましたが、寒い日に身体の芯まで温まりました。

 通常の静岡のイメージとはちょっと違う秋葉街道。秘境の自然と伝統をいつまでも守ってほしいと思う一方で、三遠南信道で長野と結ばれれば、新たな連携や情報発信が進むのではないかという期待も膨らみます。ここでも静岡のさまざまな魅力と可能性を感じます。

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■ 2012年 2月 8日 「久能山の長い石段」
 

 お正月に、大御所徳川家康公が眠る国宝・久能山東照宮に行ってきました。以前、日本平からロープウェイに乗って訪れたことはあるのですが、有名な石段の表参道を一度登ってみたいと思っていました。

 静岡駅からバスを乗り継ぎ、海岸の「ストロベリーロード」を走って久能山下まで。降りると、あたりには石垣いちごの農園がたくさんあり、いちご狩りが始まっていました。静岡では、「あきひめ」、「べにほっぺ」といった品種が有名だそうです。今回は先を急ぎましたが、今度家族と一緒に来たいと思っています。

 いちご農園の間を抜け、石段を登り始めます。初詣の時期だけに人が多く、お年寄りも小さな子供もがんばって登っています。曲がりくねった石段を登り続け、疲れてきた頃にふと振り返ると、眼下に広がる駿河湾の眺め。ほっと一息つきました。

 一休みして再び登り始めます。足腰が重くなり、「あと何段かなあ」と弱気になった頃、1,159段の石段を登り終え、やっと久能山東照宮に着きました。ここに来るのは二度目ですが、黒を基調としながら色鮮やかな装飾が施された社殿には今回も目を見張りました。

 久能山からロープウェイに乗って日本平へ。ここからの富士山の眺めは見事ですが、今年は雪が少なく、黒い地肌が浮き出ていました(今は雪をかぶった綺麗な富士山になりましたので、日本平から見たらさぞ美しいでしょう)。

 日本平で桜えび団子を食べ、いちごのフレッシュジュースを飲んで、バスで戻ってきました。途中、何回か来たことがある舞台芸術公園や日本平動物園の横を通りました。近くにはサッカースタジアムもあり、少し足を延ばせば清水港もあります。こうしたところも回れば、いろいろな楽しみを一度に味わえます。

 身近なところにもいろいろな観光資源がある静岡の街です。

 ところで、現在、静岡新聞夕刊の「窓辺」に執筆しています。静岡県の経済、自然、文化等について思うままに書いていますが、このホームページの「寄稿文・講演資料」のページにも随時掲載していますので、どうぞご覧ください。

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■ 2012年 2月 8日 「富士山麓の澄んだ湧き水」
 

 静岡県は、海の幸、浜名湖、県を南北に貫く何本もの川など、水に恵まれていますが、忘れてならないのは澄んだ湧き水でしょう。富士山の溶岩の末端から、その溶岩の下をくぐった雪解け水が湧き出るのだそうです。さすが富士山、スケールが大きいですね。

 沼津や三島の南にある清水町の柿田川湧水は、国道1号線すぐ横にあります。展望台から眺めると、澄んだ池の底から水が湧き出しています。そこから突然、柿田川という川が生まれ、1キロちょっとで狩野川に合流してしまいます。本当に短い川ですが、水の流れに藻がたなびくのがよく見えます。

 三島では、楽寿園に澄んだ水が湧き出ており、町中いたるところに川が流れています。ただ、地元の方の話では、近年枯渇気味で、企業の協力を得ながら維持しているとのことでした。ミシマバイカモという地元固有の藻があると聞いて驚きました。

 お正月に富士宮の富士山本宮浅間大社に行った時、境内にある湧玉池を眺めました。水は透明で、泳いでいる鯉はまるで宙に浮いているようでした。遠くには雄大な富士山の姿。新春にふさわしい風景でした。

 このほか、昔行ったことがある白糸の滝や山梨の忍野八海も富士山の伏流水だそうです。また、富士山麓にある多くの工場はこの伏流水を工業用水として使っていますし、この水を使っておいしい日本酒もできるのでしょう。

 このようにいろいろな恵みのある富士の湧水ですが、最近、富士宮では地下水の水位が上がって多くの家が水に浸かっているそうです。心からお見舞い申し上げたいと思います。震災の影響もあるのかもしれませんが、相手が自然だけに、人間にとって厳しい現実があることも否定できません。逆に、人間が水を汚し、長い時間をかけて元に戻してきた歴史もあります。

 思うに任せない自然。壊れやすい自然。人間と自然がうまく共存していくことの大切さと難しさを感じます。

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■ 2012年 1月12日 「明けましておめでとうございます」
 

 2012年の幕が開きました。経済的には先行き不透明感が強い中での年明けとなりましたが、地域経済の現状と展望について、できるだけ分かりやすい情報発信に努めてまいりたいと思います。

 年初にあたり、二つの資料をホームページの「支店長寄稿文・講演資料」のコーナーにアップしました。

 一つめは、昨年12月15日に公表した静岡県の短観(日本銀行企業短期経済観測調査)をグラフにしたものです。12月短観の業況判断(企業の事業がうまくいっているかどうかの判断)は、9月短観に比べ若干好転しました。このところ、円高や海外経済の不透明感が広がっており、足もとは何とか持ちこたえましたが、先行きについては、悪化を予想する企業が多くなっています。企業収益や設備投資の動きは前回調査と大差ありませんので、11月9日のコラムをご覧ください。いずれにせよ、先行き不透明感がかなり強い状況にありますので、引き続き県内の経済情勢を慎重に見ていきたいと思います。

 二つめは、静岡経済研究所の「SERIまんすりー」に掲載された年頭所感です。新年にあたり、不透明な中ではありますが、静岡県の強みや資源を活かした地域の活性化ができるのではないかという思いを込めて書いたものです。

 この1年間、本コラムでも、時々の経済情勢や静岡県の地域資源等に関し、肩の凝らない情報発信を続けていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 

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■ 2012年 1月12日 「海・川・峠の五十三次」
 

 静岡県といえば、東海道五十三次のうち21の宿場がある交通の要所です。現在では、国道や街並みの中に隠れてしまっているところも多いですが、江戸の昔を思い起こさせてくれる場所が多く残っています。

 東海道が海を渡る場所があります。浜松の舞阪宿と新居(荒井)宿の間、ちょうど浜名湖が遠州灘に通じるところです。新居には、東海道で現存する唯一の関所の建物が残っており、その横に船着き場の跡があります。この関所は、江戸時代の大地震の津波によって被害を受け、場所を移転したとのこと。昔から、自然との闘いが絶えなかったことが分かります。

 東海道の難所といえば、「越すに越されぬ大井川」です。大井川は金谷宿と島田(嶋田)宿の間を流れていますが、島田宿には国指定史跡の「川越遺跡」が残されており、川越を管理する川会所の建物など、宿場の雰囲気を感じることができます。川越の運営は、川庄屋という地元の有力者が仕切っていたそうで、「民の力」が強い土地柄だったのではないでしょうか。

 陸の難所は峠です。江戸に向かって駿府宿(静岡)に入る少し前、岡部宿と鞠子宿(丸子)の間に宇津ノ谷峠があります。先日、峠を歩いてきましたが、平安の古道である「蔦の細道」はかなりの急坂で歩きにくかったのに対し、江戸時代の東海道は大名行列が通るだけあってまだましでした。この峠には、明治、大正、昭和、平成に掘られたトンネルがあり、人間の進歩を感じます。

 もう一つの峠の難所といえば、興津(奥津)宿と由比(由井)宿の間にある薩捶(←本当は土偏です)峠でしょう。広重の五十三次浮世絵に峠から見える見事な富士が描かれていますが、実際、冬の晴れた日には美しい富士山が見えました。浮世絵と同じ構図ですが、今は由比の海岸を通る東名高速が富士山を引き立てており、昔も今も交通の動脈であることを改めて感じます。

 東海道の昔の道をたどっていくと、江戸の昔が意外に身近に感じます。これも静岡の一つの大きな地域資源であり、各宿場がもっと連携することによって、幅広い魅力を示していけるのではないかと思います。

 五十三次をもっと訪ね歩いてみたいなと思っています。

 

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■ 2011年12月15日 「デフレと金融政策」
 

 本ホームページの「支店長寄稿文・講演資料」のコーナーに、新しい講演資料を掲載しました。

 最近の講演で、日銀の機能、金融政策のあり方や手法について説明しましたので、今回はそうした内容も含まれています。

 わが国の経済は成熟し、低成長時代、言い換えれば低金利時代に入ってきました。一方で、先進国では金余り現象が生じ、巨額のお金が世界中の成長しそうな分野に集中して「バブル」や「バブルの崩壊」のような現象が起こりやすくなっています。

 日銀などの中央銀行の役割も、高度成長の時代にはインフレとの戦いが中心でしたが、低成長の社会ではむしろデフレとの戦いが大事になってきています。デフレとの戦いは、金利をゼロ以下に下げられないので、一筋縄ではいきません。そこで、かつてないいろいろな手法をとりいれていくことになります。

 とくに最近は、海外経済が不透明感を増し、円高も進んでいます。地域経済の現状をしっかり把握して、金融政策運営に役立てていきたいと思っています。

 一方、地域経済という観点からは、各地域が自分の長所を活かし、それぞれの得意な産業や地域資源を活用していくことがますます重要になっています。デフレ脱却のためには、社会・経済の変化に応じた新たな産業、新たな成長分野の開拓が必要だと思いますが、各地域の特色を活かした取り組みも重要です。

 その点、静岡県は、幅広い製造業に加え、豊かな自然に育まれた農林水産資源や観光資源が多くあります。こうした長所をさらに活かしていくことは十分可能ですし、新東名高速の開通や富士山静岡空港の活用など、物流上の利点を活かせば、まだまだ成長する余地があると思います。そうした観点から、資料の最後には静岡県経済の特色と課題についても触れました。

 こうした内容にご興味のある方は、ご覧いただけると幸いです。

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■ 2011年12月15日 「静岡の海〜伊豆、駿河湾、遠州灘」
 静岡といえば富士山とともに海でしょう。愛媛から転勤してきた初日、ホテルの窓から見た太平洋の大きさに「これが静岡か」と思いました。前任地の愛媛で見た瀬戸内海の美しい島々や宇和海のリアス式海岸に囲まれた穏やかな海とは対照的な雄大な姿でした。

 静岡の海にはさまざまな表情があります。

 伊豆半島の先端・石廊崎。遊覧船に乗ると、三方が大海原です。太平洋が広過ぎて、ちょっと心細くなります。岬の岩肌にへばりつくように作られた石室神社、汗をかいて登った石廊崎灯台。夏の太陽が海に反射してキラキラと輝いていました。

 伊豆半島の根元の沼津まで来ると、海岸の様子は変わってきます。確かに松が千本ありそうな千本浜。若山牧水が愛し、移り住んだ場所だそうです。私が訪れたのは秋でしたが、夏の台風で枝が折れ、葉が茶色く変色している木がたくさんありました。自然の厳しさを思い知らされます。

 富士市の吉原駅のすぐ近くに田子の浦があります。万葉集で山部赤人が「田児の浦ゆ うち出でてみれば真白にそ 不二の高嶺に雪は降りける」と読み、「ゆ」ってなんだ?と首をかしげたものです。高度成長期にはヘドロ公害で有名になりましたが、今は静かな海で、見上げるような防潮堤と松林が工場地帯を守っています。

 松で有名なのが清水の三保の松原です。清水には港湾施設や工場がたくさんありますが、ここに立って海を見ると、松林が目隠しになって人工物はほとんど見えません。街の近くなのに自然に包まれています。ここからの富士山はさぞ美しいのでしょう。

 駿河湾と遠州灘を分ける御前崎。街のすぐそばに岬がありますが、ここの砂浜にはなんと、ウミガメが卵を産みに来るそうです。四国にいたとき、徳島県の日和佐にウミガメの産卵場所を訪ねて行きましたが、こんな都会の近くにもあったとは…。こうした環境を次世代に引き継ぐことが我々の役目なのでしょうね。

 御前崎の西側には遠州の大砂丘が広がっています。掛川市の旧大東町の海岸に行くと、大海原に沿ってどこまでも続く遠大な砂丘。そこに点々と連なる見上げるばかりの風力発電の風車。遠くに見える浜岡原発。巨大な自然と巨大な人造物の不思議な対比でした。

 さらに西に行くと、遠州灘が浜名湖と出会います。浜松市の舞阪から湖西市の新居にかけて、新幹線や東海道線は、海と湖の間の細い陸地と橋を水面すれすれの高さで走り、息をのみます。漁港、養殖場、プレジャーボート、温泉…日常生活が海や湖とともにあります。

 さまざまな表情を見せる静岡の海。自然の恵みと厳しさ、そこでの人の営みとその歴史…いろいろなことを教えてくれます。

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■ 2011年11月 9日 「天竜川の風景」
 静岡県西部を天竜川が流れています。諏訪湖から流れ出して遠州灘に注ぎ込むまで、様々な表情を見せてくれます。

 10月はじめ、山に囲まれた諏訪湖の湖面はきらきら輝いていました。天竜川は、岡谷近くの水門から流れ出し、JR飯田線沿いに流れていきます。車窓から、伊那谷の穀倉地帯に恵みを与えながらゆったりと流れる川の姿を見ることができます。

 飯田を少し過ぎたあたり、天竜峡は観光地として有名で、天然温泉や川下りを楽しみました。このあたりからは、川が谷を深くえぐる渓谷美が車窓を飾ります。線路も駅も谷にへばりつくように作られており、「秘境駅」が人気です。静岡県に入ってすぐの小和田(こわだ)駅は、駅へのアクセスの道が殆どない秘境の名にふさわしい駅でした。

 小和田駅から先、飯田線は天竜川と分かれます。佐久間ダムの建設により昔の飯田線は水没し、現在の路線に移設されたそうです。飯田線と天竜川が再び出合う佐久間に降り立って街を歩くと、「ダムまつり」のポスターが目に入りました。ダムによってこの街の暮らしは大きく変わったのでしょう。ここから飯田線は愛知県内に入り、一方の天竜川は愛知県境を離れて静岡県に深く入ってきます。

 さらに下流の天竜二俣は、浜松市天竜区の中心地で、掛川から出て浜名湖の北を大きく巡る天竜浜名湖鉄道が通っています。今年の暑い夏、ここで天竜川の川下りを楽しみました。ゆったりした流れという印象でしたが、8月に転覆事故が起き、5人の方が亡くなりました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、けがをされるなど事故に遭遇された方々に心からお見舞い申し上げます。

 私が体験した川下りは、のんびりとして情緒にあふれ、徳川家康と武田信玄が戦ったり徳川信康(家康の長男)が自害したことで有名な二俣城を見上げながら進む印象深いものでした。しかし、危険は思わぬところにあったのですね。川下りの存続について真剣な検討が続けられているとのことですが、「地域の観光資源の活用」と「安全確保」そして「収益性」を全て満たすことがいかに難しいかを改めて感じます。

 先日、新幹線の窓から、天竜川の河口近くの広い河川敷を眺めました。諏訪湖から200キロあまり、様々な表情を見せてくれた天竜川は、ゆっくり穏やかに流れていました。この豊かな川の恵みが少しでも多く地元に与えられるよう祈るばかりです。

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■ 2011年11月 9日 「芸術、芸能、自然と人」
 静岡県は楽器製造業の集積地ですが、決して作るだけではありません。浜松にはいつまでも見飽きない楽器博物館があるほか、静岡のグランシップや静岡音楽館AOI、浜松のアクトシアターなどでは、世界中の素晴らしいアーティストのコンサートやオペラが東京などより安い料金で楽しめます。つい最近も、イタリアオペラやロシア音楽を楽しみました。音楽好きにはたまらない好環境と言えるでしょう。

 音楽だけではありません。静岡では、様々な舞台芸術や芸能が楽しめ、しかもそれが豊かな自然と見事に溶け合っているのが魅力です。

 日本平の近くの舞台芸術公園。林や茶畑の中に点々と舞台があり、日常から離れた解放感があります。中でも野外劇場は、風に揺れる木々のシルエットをバックにした野趣あふれる舞台で、演劇に他では感じることのできない不思議な色どりを添えていました。

 自然と調和する伝統的な舞台として、三保の松原での薪能が忘れられません。夕暮れ時、次第に暗くなる海の色と、松の葉蔭から差し込む月の光。耳を澄ませば、潮騒と薪のはぜる音、時として風にざわめく松の林。大自然の作る大きな舞台が動きの少ない能の抽象的な世界を包み込みます。幽玄な舞台にじっと見入りました。

 もうひとつ心に残っているのが神楽です。安倍川や大井川の流域には数々の神楽が残っているそうですが、9月に安倍川上流の玉川地区でこうした神楽が集合する「夜っぴとい神楽」という催しがありました。バスに揺られ、川沿いの小学校の体育館に座って次々登場する神楽を見ているうち、実際に奉納される神楽が見たくなりました。

 10月初、藤枝市の滝沢八坂神社に出かけると、おごそかな秋の大祭のあと、社殿で神楽が始まります。鎮守の森に笛と太鼓の音が響き、子供たちが綿菓子やかき氷を片手に見入っていました。よそ者らしき人は私だけでしたが、不思議と落ち着けるひと時でした。

 玉川の夜っぴとい神楽でも滝沢八坂神社でも、子供たちが見るだけではなくて装束を着て一役買っていました。現代の世にこうした神楽を承継していくのは並大抵のことではないと思います。神楽の伝わる山間部は、過疎化の進行といった問題を抱えているところが多いと思いますが、人と人とのつながりを次世代につなげようという地元の方々の努力を感じました。

 芸術・芸能を通じて自然や人について考えさせられた静岡の秋でした。

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■ 2011年11月 9日 「短観で見る静岡県経済」
 日本銀行では、「短観」(企業短期経済観測調査)という企業アンケート調査を3か月毎に行っており、県内企業の調査結果については静岡支店が公表しています。

 9月調査の結果を10月3日に公表し、本ホームページに掲載しましたが、よりよく理解していただくため、グラフを中心とした「9月短観の概要」という資料を作成し、「支店長寄稿文・講演資料」のコーナーに掲載しましたので、どうぞご覧ください。

 簡単に説明しましょう。まずは業況判断です。「業況判断」とは、各企業の事業がうまくいっているかどうかの判断です。各企業の業況を「良い・さほど良くない・悪い」の三択で回答してもらい、「良い」と答えた企業の割合(%)から「悪い」と答えた企業の割合(%)を引いたものが、「業況判断DI」です(1〜2頁)。プラスが大きいほど企業から見て景気が良いことになります。

 最近の動きを見ると、東日本大震災の影響により県内企業の多くで部品調達が困難となり、前回6月調査の時に業況判断DIが大きく悪化しました。それが今回は、部品調達が急速に改善して、ほぼ震災前の水準に戻りました。静岡県は、輸送用機械など部品調達が困難になった業種が多いため、全国平均に比べて落ち込みが大きく、その分回復も急速になったのです。

 次に、企業の収益は、10年度はリーマンショックのあと久しぶりにプラスになりましたが、11年度はほぼ前年度並みです(3頁)。企業の収益環境を見ますと、仕入価格は国際商品市況の上昇もあって上がっているとする企業が多いのに対し、販売価格はデフレ傾向の継続もあって下がっているとする先が多く、厳しい状況が続いています(4頁)。

 県内企業の設備投資は、輸送用機械や消費関連で大型投資がみられることもあり11年度は前年比大幅増加となっています(5頁)。設備が過剰か不足かという質問に対しては、過剰とする先の方がまだ多いですが、過剰感は徐々に後退しています(6頁)。

 雇用人員についても、過剰とする企業の方が多いですが、過剰感はかなり薄らいできました(7頁)。設備も雇用も、震災後の6月に一時的に過剰感が強まりましたが、業況判断と同様、静岡は震災による一時的な悪化が全国より大きい(グラフが深い逆V字になっている)ことが分かります。

 企業の資金繰りについては、震災後の6月に苦しいとする先が一時的にやや増えましたが、傾向としては徐々に金融緩和が浸透しているとみられます(8頁)。

 このように、今回調査では、震災の影響が薄れることによるプラスの側面が強く出ていますが、これからは、最近の円高や海外経済の不安などの影響が出てくる可能性もあり、まだまだ予断を許さない状況です。引き続き県内経済を注意深く見ていきたいと思います。

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■ 2011年10月11日 「西伊豆で震災を思う」
 静岡に来て、何回か伊豆を訪れました。東日本大震災で観光客が激減した伊豆の温泉地ですが、最近は漸くお客様が戻ってきたようです。しかし、地域による違いも大きいそうで、まだ本調子とは言えない様子です。

 何回かの伊豆行きのうち、プライベートで行った西伊豆は、東京に住んでいた頃にはあまり行ったことがなく、伊豆の新たな魅力を感じました。

 清水からフェリーに乗ると西伊豆の土肥(とい)に着きます。そこからバスで南に向かうと堂ヶ島、松崎がありますが、堂ヶ島が名勝を擁するにぎやかな観光地なのに対し、松崎は昔ながらのなまこ塀が残る落ち着いた街です。学生時代にのめり込んだ幻想的な漫画の舞台が松崎の古い旅館だと知り、思わずそこに泊まりました。

 土肥温泉で素朴な共同浴場に入り、北の戸田(へだ)に向かったこともあります。バスは海岸沿いの森の中をくねくねと走り、いわゆる伊豆のイメージとは違う、手つかずの自然にひたりました。

 戸田でちょっと時間があったので、「造船博物館」に立ち寄ると、江戸時代のディアナ号事件が紹介されていました。日露和親条約の締結交渉で下田に来ていたロシア軍艦ディアナ号は、1854年の安政東海地震による津波で大破し、戸田沖で沈没しました。地元の人々は乗組員を助け、ロシア人の指導で日本の造船工が「ヘダ号」を建造し、乗組員はその船で祖国に帰ったそうです。これがわが国の近代造船技術の基礎となったというのです。私の前任地・愛媛の今治にある造船会社で見た巨大な船舶を思い出し、そのルーツはここ戸田にあるのかと感心しました。

 東日本大震災では各国からの温かい援助がありましたが、150年も前から、震災の時の国境を超えた助け合いがあったのです。震災を乗り越えて前に進むことの大事さを改めて教えてもらった気がしました。

 震災後、まだ本調子でない伊豆の観光ですが、太陽が照りつけるにぎやかな東伊豆、文化と歴史の中伊豆、広大な太平洋を望む南伊豆、自然豊かで落ち着いた西伊豆と、様々な見どころがあります。そうした魅力を最大限活かして震災を乗り越えていかれることを心から期待しています。

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■ 2011年10月11日 「遥かなる富士山頂」
 今年の夏、職場の同僚らと一緒に富士登山に挑戦しました。

 これまで、登山はあまりやったことがなかったのですが、前任地の愛媛で「西日本一」の石鎚山や瓶が森(かめがもり)などいくつかの山に登ったことから興味が沸き、静岡に来たからには日本一の富士山に登ってみたいと思うようになったのです。

 今年は、外国人登山者の減少などから登山者数が少なかったそうですが、それでも富士宮口五合目は多くの人でごったがえしていました。お盆過ぎの不安定な天候で、小雨が降っていましたが、「行けるところまで行こう」と雨具を着て登山開始です。

 話には聞いていましたが、富士宮口は最初から勾配がきつく、すぐ息が切れてしまいます。雨でメガネが曇り、30年ぶりくらいでメガネなしで外を歩きました。登るにつれて白い霧が立ち込め、風も強くなり、心細くなってきます。新七合目まで行ったところでみんなと相談し、やむなく断念しました。同じように引き返された方も多かったようです。

 登頂はなりませんでしたが、各山小屋のバイオ系トイレの整備など自然を守る努力や、いきかう人が「こんにちは」とあいさつする気持ちよさを感じられたのは良かったと思います。

 個人的には、余裕を持って富士登山を成し遂げるためにはもっと体力、特に心肺機能を高めることが必要だなと感じました。準備不足で遭難する人がいるというのもうなずけます。今回、いろいろな道具を揃えましたが、道具に気をとられて肝心の体力作りが十分でなかったことを反省し、ランニングや身近な山歩きなどを少しずつ始めました。

 富士山に行って、この山が老若男女多くの人に愛されていることを改めて感じました。これだけの人を魅了するのは、姿の美しさ、神秘的で神聖な雰囲気のほか、日本の象徴としての特別な何かを感じるからでしょう。世界文化遺産への登録が実現することを心から期待したいと思います。

 それとともに、富士山を通じて、われわれ自身が身体を鍛え、自然を守り、すれ違う時の挨拶など人との触れ合いを学ぶといったことも大切なのだと思いました。

 私ももう少し自分を鍛えて、再度富士登山に挑戦したいと思います。

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■ 2011年9月8日 「オープン講座の講演資料を掲載しました」
 先日、本ホームページをリニューアルしましたが、やはり情報発信を拡充する趣旨で、本日、支店長オープン講座の資料をホームページの「支店長寄稿文・講演資料」のコーナーに掲載いたしました。

 講演資料は、個々の講演の性格やご要望、経済情勢の変化などによって常に修正しておりますが、今回掲載したのは、8月までに使った標準的な資料です。これからも節目ごとに掲載していこうと思います。

 オープン講座に参加できなかった方のご参考にしていただくとともに、ご覧いただいてこうした経済問題にご関心があれば、是非オープン講座をお申込みください。

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■ 2011年8月24日 「南アルプスの短い夏」
 静岡県の地図を見ると、山梨県と長野県の間にくさびを打ち込むように突き出した地域があります。南アルプスの南端、大井川源流部と呼ばれるところです。静岡に来て、地図を見ているうちにどうしてもここに行きたくなりました。

 いろいろ調べてみると、かなり北の方にある二軒小屋のロッジに泊まれそうです。問題は足。車は持っていますが、愛媛での経験から、山中の細道に入り込むと大変なことになるので、バスにしたいところです。これも調べてみると、7月16日から8月末の間だけ、静岡駅からバスが出ることが分かりました。7月16日の初日に出発です。

 当日バス停に行くと、軽装は私くらいで、本格的な装備の山男・山女たちが列をなしています。大型バス2台で出発。途中からかなり心細い山道に入り、畑薙ダムでロッジの送迎バスに乗り換えて、二軒小屋に着くまで全行程5時間強の長旅でした。

 二軒小屋は標高1,400m、白樺のきれいな高原です。ここも「静岡市葵区」なのですから驚きます。近くを歩くと「大井川起点」という標識があり、大井川源流部と呼ばれる意味が分かります。しかし、源流部といっても決して未開の地ではなく、大井川起点のさらに上流にダムがあるのです。山奥のダム湖はエメラルドグリーンで周囲の林と美しく調和していましたが、これは自然の美というよりある意味では人工美なのです。

 一泊して二軒小屋、椹島(さわらじま)のあたりを散策し、青空に映える赤石岳を眺めました。帰りはバスで井川まで戻り、大井川鉄道で帰途に。起点から大井川沿いをずっと下ってきた訳ですが、ダムの多さに驚きました。自然エネルギー発電の元祖ともいうべき水力発電。ダムにより自然の営みが失われるという側面がある一方、こうした多くの水力発電がわが国の経済発展を支えてきたのですね。

 その時は既に台風が近付いていました。バスの運転手さんは「土砂崩れが心配」とおっしゃっていましたが、その後、豪雨が続いて土砂崩れが起き、帰れなくなった登山客も多かったようです。7月16日からスタートしたバスは数日で運休となってしまいました。その後、8月中旬に再開したようですが、残された短い夏、多くの方が夏山を楽しめるよう願っています。

 大自然の奥の奥まで人間の手が入った水力発電。一方で、容赦なく人間に襲いかかる大自然の猛威。自然と共生することの大切さと難しさを考えさせられた南アルプス行きでした。

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■ 2011年8月24日 「自然災害と経済」
 3月11日の東日本大震災では、多くの方々が亡くなり、被災されました。心からお悔やみとお見舞いを申し上げたいと思います。

 大震災は、工場の被災といった直接的な被害のみならず、部品調達の困難化、電力の制約、原発問題といった様々な形で経済に影響を与えています。とくに静岡県は、自動車をはじめとする部品の調達難や伊豆地方等における観光客の減少といった大きな影響を受けました。部品の調達難は解消しつつありますが、観光はまだ復調したとは言えません。お茶をはじめとする農作物や畜産にも影響が広がっています。

 自然災害そのものは以前からあった訳ですが、社会生活や生産活動が高度化するにつれ、災害に見舞われた時の影響がより大きくなっているように思います。原発の存在ももちろんそうですが、「サプライチェーン」という言葉でも分かるとおり、鎖のようにつながった部品供給の流れや、極力在庫を圧縮する効率化。これらを支えていくためには、従来以上の災害対応が求められることになります。

 大震災を踏まえた災害対応を進める中で、生産拠点の地域分散という話も出ています。これまでは生産拠点が集積するメリットが強調されてきましたが、震災の教訓から、集積することのリスクも強く意識されるようになってきました。

 静岡においても、地域分散の流れの中で工場の県外(あるいは海外)移転といった動きが出てくるかもしれません。しかし、静岡は何十年も前から東海地震対応を進めてきた経験があります。それを活かして、災害対応を強化した新たな工場立地のあり方を全国に先駆けて提示し、むしろ工場分散化の受け皿になることも十分可能ではないかと思います。

 また、リーマンショック後や今回の大震災後の静岡県経済の大きな落ち込みを踏まえると、産業の分散という観点も重要になってくると思います。豊かな農林水産資源の活用や、それも含めた製造業のさらなる多様化などはまだまだ余地があると思います。

 今や、各地域がそれぞれの地域資源をいかに活用するか、しのぎを削っている訳ですが、自然の資源に恵まれ、物流の条件もいい静岡には、こうした全国の動きを牽引し、各地域の連携の拠点となっていく大きな役割があると思います。

 静岡のこうした役割に期待していきたいと思います。

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■ 2011年8月24日 「愛媛から静岡へ」
 ごあいさつのページでも申しあげましたが、このたび、「支店長コラム」を開設し、私が静岡で感じたことを肩の凝らない文章で読者の皆さまにお伝えしようと思います。

 まずはじめは、私が5月までいた愛媛と静岡の比較から。というのも、静岡と愛媛ではいろいろと似たところがあります。

 まず、東西に長いこと。静岡は西部、中部、東部に伊豆もありますが、愛媛も東予、中予、南予があり、単なる地域区分というだけでなく、同じ県内でも産業や気質が異なります。その背景として、江戸時代に多くの藩に分かれていたことも共通です。

 製造業では、製紙業の一大拠点であることが共通です。川之江や伊予三島を訪れるたびに感じた製紙特有の薬品の香りを富士や富士宮の街でも感じ、懐かしい思いがしました。

 どちらの県も、温暖な気候を利用してみかんなどの柑橘類が盛んに栽培されています。海産物が豊かなことも共通しており、転勤後、静岡の黒はんぺんを愛媛の方々に送ったり、愛媛のじゃこ天を静岡の方々に食べていただくなど「海産物交流」をしました。

 山に目を転じると、日本一の富士山(3,776m)は圧倒的ですが、愛媛にも近畿以西の最高峰である石鎚山(1,982m)があり、どちらも信仰の山です。

 原発への対応に直面していることも共通しています。

 このようにいろいろな共通点がありますが、温暖な気候を映して、そこに住む人々が優しく温厚なところが、両県を訪れる人にとって一番ありがたいことかもしれません。

 一方で、大きく異なるのは経済規模と「地の利」でしょう。首都圏、中京圏、関西圏に近い静岡と、消費地から遠い愛媛。静岡には身近な消費地のニーズに対応する大規模な企業が多いのに対し、愛媛には物流コストを補う高付加価値やニッチ分野の企業が目立ちます。それぞれの条件の違いに応じた役割を果たしているのだと思います。

 静岡と愛媛。似ていて違う二つの素晴らしい地で働くことができるのは、私にとって大変幸せなことです。こうした経験を通じて、日本の地域経済について私なりに考えていきたいと思います。

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