二千円札の発行高や、よくある質問についてご紹介します。
守礼門は沖縄の観光名所である首里城の城門のひとつです。この門は琉球王国尚清王(在位1527~1555年)の時代に創建されました。当時の琉球は礼節を重んじる平和国として知られており、「守礼之邦」と書かれた扁額(へんがく)が掲げられています。
守礼門は、1933年に国宝に指定されたあと、第二次世界大戦で焼失しましたが、1958年に復元されました。現在、首里城や数々の城跡は「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」として世界遺産に登録されています。
いいえ。二千円札は他のお札と同様、日常的に使用することを想定した恒久紙幣です。その根拠としては、日本銀行法施行令第13条「日本銀行券の種類は、一万円、五千円、二千円及び千円の四種類とする」に規定されています。
二千円札の裏面には、「紫式部日記絵巻」に描かれた紫式部の顔とその代表作である「源氏物語絵巻」の第三十八帖「鈴虫」の詞書と絵が印刷されています。
紫式部は平安時代(794~1192年)の中期の作家・歌人で、「あはれ」で象徴される源氏物語は11世紀初めの作品です。源氏物語は光源氏を主人公として、戦も少なく、平和な時代における貴族たちの日常が書かれています。
二千円札に描かれている「詞書」は、「鈴虫」の帖「その一」で、八月十五夜の夕暮れ時、女三の宮が庵で仏に念珠し、側の尼たちが仏に具える花や水などの仕事を忙しげにしているところへ、光源氏が訪れ、暫く鈴虫、松虫の談義をし、互いの断ち切り難い想いを歌で交わすというものです。
一方、「絵」は、「鈴虫」の帖「その二」において、同日の夜、光源氏が冷泉院から、十五夜の月を一緒に見たいとの呼び出しを受け、上座(絵の左側)に冷泉院が、下座(右側)に光源氏が座り、親子対面をする場面を表しています。なお、二千円札に描かれている絵は国宝に指定され、五島美術館に所蔵されています。
お札を傾けると表面左下には「2000」の文字が、裏面右上には「NIPPON」の文字が浮かび上がります。
表面右上の文字「2000」は、角度を変えると青緑色から紫色に変わります。
お札を傾けると、左右の余白部にピンク色を帯びたパール光沢のある半透明な模様が浮び上がります。
平成5年12月1日以降に発行されたお札と同様に「NIPPONGINKO」と書かれた小さな文字が印刷されています。凹版印刷では従来の文字よりも小さい文字を取り入れているほか、新たに地紋印刷による文字が導入され大小取り混ぜた文字が曲線的にデザインされています。
「弐千円」などの漢字や守礼門の図柄は、従来のお札よりもインキが表面に盛り上がるように印刷されています。
目の不自由な方が指で触って識別できるように、従来の「すき入れ」に代えて一層ざらつきのある上記「深凹版印刷」によるマークを導入しています。マークは点字の「に」をデザイン化しています。
平成5年12月1日以降に発行されたお札と同様に、表の印章(日本銀行総裁印)に紫外線をあてるとオレンジ色に光るほか、地紋模様の青色部分が黄緑色に発光します。