日本銀行山形事務所の概要

日本銀行山形事務所の役割と機能




 日本銀行山形事務所は、地域経済の健全な発展を縁の下から支える役割を果たしています。日本銀行は、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することと、決済システムの円滑な運行を確保し、金融システムの安定に資すること」を使命としていますが、当事務所はその任務を「第一線」で遂行・補佐する立場にあります。
 具体的には、金融機関との間の銀行券の受け払いを通じ、県内全域における通貨の円滑な供給・流通を支える重要な役割を担っています。また、県内に所在する企業、金融機関をはじめ、政府関係機関、県庁等のご協力を得て、金融経済動向に関する各種の情報を収集・分析し、本部に報告する「アンテナ」の機能を果たしていますが、こうした情報は金融政策運営に当たっての貴重な判断材料となっています。
 一方、県内の金融経済動向に関する調査・分析結果については、定例記者会見で毎月公表しているほか、本部や海外の情報についても、各種講演等の形で地域に還元するなど、広報活動にも力を入れています。

 ・・・山形県金融経済概況:毎月公表(8月を除く)
 ・・・山形県企業短期経済観測調査結果:4、7、10、12月公表
  なお、具体的な公表予定日は、ホームページ(トップページ「お知らせ」)で告知しております。
 さらに、中立・公正な立場から、県内経済の方向性やあり方などについて、各種提言などを行うことも大切な役割の一つです。

日本銀行山形事務所の歩み


昭和20年 8月  駐在員事務所として両羽銀行(現・山形銀行)本店建物内に開設
昭和21年 7月  駐在員事務所を事務所と名称変更
昭和22年 9月  旧山形貯蓄銀行(現・山形銀行に吸収合併)本店建物へ移転(独立店舗)
昭和46年11月  山形銀行本店改装に伴い同行建物内に移転
平成 4年10月  秋田支店管下であった庄内地域を仙台支店へ移管
平成27年 8月  開設70周年
令和 3年10月  山形銀行本店建て替えに伴い同行旅篭町ビルに移転

山形県出身の日銀総裁


 山形県出身の日本銀行総裁としては、米沢市出身の第14代総裁・池田成彬(在任昭和12年2月〜7月)、赤湯町(現・南陽市)出身の第15代総裁・結城豊太郎(在任昭和12年7月〜19年3月)が挙げられます。結城氏は、所有していた書籍等を蔵する「臨雲文庫」を郷里に創設(昭和10年設立)し、当時の赤湯町に寄贈しています(昭和42年南陽市の誕生と共に「南陽市立結城記念館」と改称、平成7年4月には「南陽市立結城豊太郎記念館」として新館竣工)。このほか、第21代総裁・宇佐美洵(在任昭和39年12月〜44年12月)は両親および祖父が米沢市の出身であり、こうした縁もあって米沢地方の青年の育成を目的とした「米沢有為会」の会長を一時務めました。

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