随想録1 : 日本銀行神戸支店 BOJ Kobe

大震災から15年、改めて思うこと

  • 遠藤勝裕(元日本銀行神戸支店長)
  •  阪神・淡路大震災から早や15年が経つが、あの時の様々な出来事を一刻たりとも忘れたことはない。例年1月17日にはボランティアグループの一員として長田区御蔵北公園での追悼法要に参加しているが、今年はその前日に当時日銀神戸支店で震災対応に汗を流した仲間達と銀行倶楽部に集まった。私が秘かに「震友」と名付けている皆さんとの震災時の話は尽きず、しばし時の経つのも忘れてしまった。
  • 大震災から15年、改めて思うこと大震災から15年、改めて思うこと神戸市中央区の東遊園地で行われた「1.17のつどい」の模様(2010年1月17日)
     ところであの日、神戸支店は平常どおり午前9時に営業を開始した。周辺の状況を考えれば奇跡的なことであったが、このことはその後の社会的混乱を未然に防いだとの大きな意義を有し、客観的にも高く評価されている。職員全員が正に命がけで対応した業務内容は中央銀行の機能そのもの、すなわち①現金供給体制の確立、②決済システムの機能維持、③被災地金融の円滑化の3点であった。ライフラインが全て停止する中、数々の困難が立ちふさがったが、全員が日銀職員としての使命感に燃え、ハードルを一つ一つ乗り越えることができた。今でも関係者は大いに胸を張り誇りに思ってよいと思う。この間、後世に伝えるべき教訓は数知れず、とりわけ身にしみたのはマニュアルと訓練の大切さであった。日頃の訓練が非常時対応の支えになることやマニュアルが身についているからこそマニュアル外の出来事に迅速に対応できたことを忘れてはならない。また職員は皆被災者の顔を持つということである。被災した家や家族を抱えながら業務遂行に力を注ぐ姿にしばしば涙したが、それだけにリーダーとしては職員とその家族の命と生活を守る責任を痛感、これも心すべきことである。大災害時ほど組織のトップは自らの命の重みを感じなくてはならないということでもある。

大震災から15年、改めて思うこと現在の神戸市内の様子

  •  さて16年目に入った今、最も大切なことは我々の震災体験、当時の感性を風化させないことである。神戸の街を歩いていると立ち並ぶビル群やお洒落な街並みが目立ち、そこからは往時の悲惨な様子は窺えない。
  •  しかし、今なお癒えることのない震災の傷跡がその華やかさの裏に潜んでいること、あるいは被災後「第2の危機」と私が感じた深刻な経済不安を乗り切れないままの姿、などを語り続けて行くことも必要である。私が今も神戸の「人と防災未来センター」で講師を勤め、長田のボランティアグループ「まち・コミュニケーション」の顧問を引き受けているのはそうした語り部としての役割と責任を果たすためである。