阪神・淡路大震災から学んだこと
── 災害発生時における日本銀行の役割について
- 阪神・淡路大震災から15年もの時が流れた。あの大災害に遭遇し、日本銀行神戸支店で災害対応に没頭した日々は、今なお強烈な体験である。しかし、時間の経過とともに当時の生々しい記憶が薄れていくことも否めない。それだけに、当事者として大震災から得た教訓や当時の思いを語り継いでいく責任があると思っている。
- 戦後最大の地震災害の渦中にあって最も強く意識したのは、日本銀行員としての使命感であった。大災害のあとには、電気、ガス、水道といった社会的インフラの早期復旧が求められるが、現金供給や決済システムの維持・復旧は中央銀行の重大な責務である。神戸の金融機能を断絶させてはならないという強い意思が、難しい災害対応を支えた原動力であった。思えば、震災当日の午前中に神戸支店の窓口で現金支払いができたことも奇跡に近い。保管現金が崩れて散乱した金庫の中で、職員が文字どおり悪戦苦闘して必要な現金を取り出してくれたからこそ、非常時の支払いが可能となった。こうした使命感は日本銀行員の体内に埋め込まれたいわば職業的本能とも言うべきものであった。
- 震災当日の金庫の様子
震災が未曾有の大災害と認識されたあとには、速やかに長期戦に備えた組織運営を考えねばならなかった。日々の食事にすら窮する当時の惨状の中で、大規模で計画的なロジスティックス(後方支援)の構築が不可欠であり、そうした支援がなければ大災害には立ち向かえなかった。このため、支店長を中心に水や食料の調達をはじめ、職員の生活支援にも大きな力を注いだ。自家発電に使用するための重油の確保も、銀行業務を継続するための最も重要な仕事のひとつだった。
- 震災当日の事務室の様子
明確な戦略の下で、日本銀行が本支店の全力をあげて阪神・淡路大震災に立ち向かった結果、神戸支店は中央銀行の責務を果たすことができたと自負している。また、日々の災害対応に追われる中にあって、日本銀行は危機に強い組織であることも改めて実感した。こうした災害に強い日本銀行のDNAは後輩諸君の体の中にも脈々と伝わっているに違いない。
- 国民に対する日本銀行の責務は、金融政策の適切な運営だけでなく、災害時等の危機における金融決済システムの維持であることを決して忘れてはならない。