随想録3 : 日本銀行神戸支店 BOJ Kobe

被災者の身になって

  • 山口行弘(元日本銀行神戸支店発券課長)
  •  焼損銀行券・貨幣の引換に奮闘した神戸支店職員および本店、名古屋・大阪支店からの応援者の仕事振りをご紹介します。
  •  焼損銀行券・貨幣、とりわけ焼損銀行券の引換事務は、高度の経験に加え、集中と忍耐を要する仕事です。
  •  すなわち、銀行券の引換基準は、日本銀行法施行規則(第8条)において「表裏があって券面の3分の2以上の面積があれば全額」、「同様に5分の2以上の面積があれば半額」(いずれも要約)と定められている。ところが、焼損の場合は、蒸し焼き状態で炭化したものや完全に火が入り灰化したもの(いずれも銀行券かどうかは紙質や特殊な印刷により識別可能です)などが含まれており、金種、枚数および金額の確定作業の過程で原形が壊れ易く、復元が難しいといった特徴があります。一度原形が壊れてしまうと再度数え直すことはできないため、細心の取扱いが必要とされます。
  • 被災者の身になって真っ黒な灰状になったお札
     そうした中、遠藤支店長(当時)からは、タイトルに掲げた『被災者の身になって(引換事務を行う)』を厳命され、引換事務に当った職員の奮闘が始まりました。結果として、震災から半年間で、1,800件、8億円(銀行券:14万枚、硬貨:113万枚)の大量の引換を成し遂げると同時に、引換金額を巡るトラブルは皆無で、とくに後者は奇跡に近い出来事であったと思います。
  • 被災者の身になって焼け焦げたお札の鑑定作業
     この間、引換事務は長丁場でかつ従事する者も入れ替わっていくことが想定される中、『被災者の身になって』を実践的かつ確実に具現化していく方策として、『依頼者の納得性を可能な限り高める』ことを目標に、以下のようなルールに沿って引換作業を行うこととしました。
    1. 引換事務は拙速を避け、十分時間をかけて作業を行うこと。一時預り方式もやむを得ない(平時においては、時間の経過に伴うトラブル回避のため、即日処理を基本としている)。
    2. 一方、時間の経過に伴うトラブルを極力回避する観点から、①受付時に被災状況および現金のありかと金額を仔細にヒアリングしたうえ、これを頭に入れて、②引換作業(金種・枚数・金額の確定)を行い、作業が終わったら、③引換代り金を必ず電話で連絡し、来店日時を約束して、④代り金の引渡しを行う、これらの一連の事務を同一人が担当すること。
    3. 現金の取扱いは2名で行うこととしているが、引換事務1件当りの処理時間が長くなるので、効率的な作業のため、2名のペアリングを固定すること。
    4. 応援者の場合は、1週間から10日間単位でチームが交替するため、支店職員や異なるチームの応援者とペアリングし、2名が同時にいなくなることを回避すること。
    5. 2.③の電話連絡の際には、一方的に代り金額を連絡するだけではなく、「どこの引き出しからいくら」など詳しく状況を説明するとともに、疑念があるようであれば、さらなる被災現場の探索を勧奨すること。
  •  実際の引換作業は、埃まみれになって、土日を含めて毎日12時間に及び、疲労は限界ぎりぎりに達しました。2.①の被災状況の聴き取り時には、あまりの悲惨さに涙し、慰めの気持ち一杯でヒアリングにならず、逆に励ましをうけたり、また、責任感から、④の代り金の引渡しまでを「どうしてもやり終えたい」と、出張期間中の移動時間を犠牲にして依頼者の来店を待って完結させたうえ戻る応援者もいました。
  •  もちろん、引換事務においては、お行儀のよい人ばかりではありませんでした。職員が焼損銀行券に相当程度眼が慣れてきたころ、お札を真半分に切り、その切り口を蝋燭で焦がしたものが持ち込まれた(半額券で全額の代り金を期待する仕振りがありありで、もちろん残存物らしきモノは一切なし)ケースやおもちゃのお札(黒焦げの紙片から子供銀行の文字がかすかに見て取れるものの悪意の介在は不明)の持込みがあった。前者については、全部が焼損した形跡がない(残存物がない)こと、後者については、手近にあった本物の焼損券を示し、丁寧にご説明したうえ、お引取り願いました。
  •  以上のように、引換依頼者の納得性を高める努力と献身的な対応を心がけたことにより、ほぼ100%の成果に結びつけることができたと思っています。
  •  引換を巡るエピソードについては、日銀広報誌「にちぎん」№8 2006年冬号「クローズアップあの日あの時⑧「金融パニックを回避せよ」にも掲載されていますので、参考にしていただきたいと思います。