『涙あり、喜びあり』の震災時引換業務
- 内野敏行(当時、本店発券局から応援派遣)
- 私の財布の中に、焼け焦げたお札の鑑定状況を報じた新聞切り抜きが、15年経過した今でも大事に保管されている。この記事を見るたびに、涙なくして語ることのできない多くの場面が蘇るとともに、「発券銀行の役割の大切さや市民社会が何を期待しているのか」を思い起こし、引換業務の遣り甲斐・誇りを改めて強く感じている。
- 震災関連の引換は、「罹災直後の1月19日、まだ火種の残ったお札が持込まれ、受付カウンターで突然燃え上がる」といった被災地ならではの第1号引換を皮切りに、その後、約6か月間の長期ランに亘り、件数で1,800件、金額で8億円(銀行券:14万枚、硬貨:113万枚)にも上った由。
- 焼け焦げたお札の鑑定作業
私は、その業務の応援者として、2回(延べ14日間)参加したが、気苦労も多く肉体的・精神的負担もあったかと思うが、様々な人間ドラマに感動・感銘を受け、多くの人達の喜ぶ笑顔を見るだけで、そんな疲れは吹っ飛んでしまったものだ。このことは、応援参加者全員に言えることかもしれない。その感動した場面を3つほど紹介してみたい。- 「ビル新築資金の返済現金が燃えた」として土に紛れたお札の灰がプランター1杯持ち込まれた。その鑑定結果は6百万円であったが、更に「お札の灰はまだありまへんか」と穏やかな関西弁で確認したところ、後日、プランター6杯分の土とお札の破片等が持ち込まれ、最終的な引換金額は30百万円を超えた。そのお客様は「一度は首をくくるしかないと思っていたが、これで救われた。このご恩は一生忘れない。」と大粒の涙を流し喜んで帰った。
- 八百屋夫婦とその娘さんが神妙な顔つきで大型金庫を持参。心配そうに見つめる3人の前で、神戸庶務職員の巧みな「電動ノコギリ捌き」で見事に金庫を解体し、鑑定結果22百万円を支払った。帰り際、父親は「これは俺達夫婦の40年の結晶です。ありがとうございました」、娘さんも「神様は見放してはいなかったね」と相槌。涙、涙、そして喜び、喜び。
- 被害甚大であった長田区在住の老夫婦(蕎麦屋さん)から「業務用冷蔵庫の中に炭化した現金があるが、怖くて取り出せない」との相談の電話あり。蕎麦屋へ出向き、現場の状況を確認した上で、焦げたお札の引換えについて丁寧に説明した。後日、その夫婦が来店し、引換手続きを実施、涙と笑顔で代り金を受取った。
- 高熱でくっついた貨幣をガスバーナーやハンマーで剥している様子
売上金を保管している金庫が持ち込まれたときの様子
最後に一言。「被災地での引換業務は、来店する多くの人達が辛いドラマを背負った罹災者であり、可能な限り時間を掛けて、1円でも多く罹災者の財産を復元してほしい」との遠藤支店長(当時)の負託に応えるべく一生懸命に取り組んだことが、今では懐かしく思い出される。そして、罹災者の方々の期待に少しでも貢献できたとすれば大変嬉しく思う。頑張れ神戸。