随想録6 : 日本銀行神戸支店 BOJ Kobe

阪神・淡路大震災を体験して

  • 橋本洋治(元日本銀行神戸支店)
  •  私は、神戸支店文書課に着任して7カ月後の被災でした。
  •  震災前年の12月に二女が生まれ、「成人の日」の連休で妻の実家から家族が神戸に戻り、私の束の間の単身生活が一段落したところでした。地震直後、寝ていた部屋で倒れたカラーボックスの数センチ先で寝ていた乳飲み子は、今では15才になりました。
  •  震災当日から出勤し刻一刻と状況が変わる大混乱の中、3日ほど営業所に寝泊まりし、4日目、家族寮向かいの変電所の鉄塔が危ないとの噂があり(結果的には全くのデマ)、念のため家族寮から近くの単身寮に家族寮居住者4家族と当座の荷物のみ携行し一時避難しました。この時、5才のヤンチャな息子が、「思い出が無くなる~。」と、泣きじゃくりながら避難転居を嫌がったのを覚えています。この後、妻、子供は、再び妻の実家へ列車の交通寸断で乗客の積み残しにも合い遠回りしながら12時間(通常4時間)かけて疎開し、私は引き続き営業所での単身生活となりました。
  •  こうして始まった、災害対応の中での雑感です。
  •  災害対応において本行組織の有難さをまずもって感じました。本行業務のほか、食料・飲料品、インフラの復旧、厨房運営、トイレ・お風呂対策、カウンセラーによる健康管理などなど後方支援・兵站部門についても、人的派遣、物的支援を本支店はじめ沢山の方々から頂きました。改めて感謝を申し上げます。
  •  一方、被災当初は、被災現場と本部との温度差も感じました。規程、マニュアル等で想定されている事項を遥かに超える異状事態のもと、特例・新規対応が必要と思われる中で、そうした現地の状況を本部に的確に伝えることの難しさを感じました。
  •  また、前述の変電所鉄塔のように、世の中の混乱時は、情報も錯綜しデマも発生します。様々な錯綜する情報の中で緊急度との兼ね合いもありますが、混乱時こそ冷静な対応が一層求められると痛感しました。
  • 阪神・淡路大震災を体験して震災以降、毎年実施している神戸支店での防災訓練の模様(2010年1月15日)
     この震災を踏まえ、その後の災害対応策は世の中でも一段と進みました。
  •  神戸の「さらなる発展を願う」とともに、改めて、自分自身も災害対応への備えを常に心がけておきたいと思います。