随想
- 坂本直久(元日本銀行神戸支店)
- トントン、カンカンと鳴り響く金属音。次々とレジや金庫等が持ち込まれ、焼け焦げた紙幣や溶けた貨幣を慎重に取り出す。マスクをかけ白衣に身を包んだ私は、大工道具を使って溶けた貨幣を一枚一枚剥がすのが日課だった。レジの中で固まった釣り銭用の貨幣は、熱せられたプラスチックフィルムが接着剤となり、かなり手強い。夜遅くまで作業を続けても処理しきれず、「未整理物件」として翌日に持ち越しとなる。震災後、数週間はこうした日々が続き、慣れない作業に指先は傷だらけとなった。
- 熱でくっついた貨幣
私が最初に配属された神戸支店発券課は、多額の現金を取り扱うこともあって、小さなミスや気の緩みも許されない厳格な職場だった。上司の監督の下、ひたすらルールに沿って、繰り返し勘定を確認する。ひとりでは何もできない。そうした毎日に不満を感じていた入行10か月目に震災に遭った。 - ガラス片が散乱した部屋を抜け出し、戦災のような街並みに衝撃を受けながら職場に辿り着いたが、何から取り掛かればよいのか分からず、上司の指示に従って動くのが精一杯だった。発券課では、通常どおり9時に窓口を開ける一方、余震に怯えながら金庫内に散乱した銀行券をかき集め、薄暗い執務室で投光器の明かりを頼りに鑑査した。
臨時宿泊の様子
- 数日間職場に寝泊りし、夜警や清掃、荷物の運搬作業など何でもやった。次第に損傷通貨の引換え依頼が増加し、長時間の残業続きで心身とも疲弊したが、自らも被災者である同僚の懸命な姿や市民の復興に向けた頑張りに励まされ、その後1年間発券事務に従事することができた。この間、私は自身の無知無力を痛感しながらも、個々の力を結集し、チームワークをもってすれば苦難を乗り越えられることを学び、公共的使命を果たした充実感を味わうこともできた。
- あれから15年が経ち、私たちを取り巻く環境は大きく変わった。震災を教訓に業務継続体制や災害対策マニュアル等が整備された一方で、業務運営の効率性向上の観点から機械化(人員スリム化)が進んだ。それでも変わらないのは「ひとが大事」ということだ。市民のライフラインを支える業務は、いかなる事態にも容易に停止できない。だからこそ、機械にはない「柔軟な判断力」と「高潔な使命感」を涵養した人材が求められる。今年も新入行員が支店に配属され発券事務を経験する。彼らに震災経験を伝えていくことが、私たちの責務だと思っている。