1894年2月 (明治27年) |
大蔵省に京都出張所の開設を申請。 |
---|---|
1894年4月1日 | 「上京区(現・中京区)東洞院通御池上ル船屋町16番地」に京都出張所を開設。 支店、出張所としては大阪、小樽(現・金融資料館)、函館、北九州に次いで5番目。 「金庫」、「国庫」、「営業」、「文書」の4係を設置し、所長以下従業員約30名で発足。 |
1896年6月 (明治29年) |
京都商業会議所会頭から日銀総裁あてに「日本銀行京都支店設置希望意見書」が提出される。 |
1898年1月 (明治31年) |
京都出張所における当座預金による手形交換尻決済を開始。 |
1899年1月 (明治32年) |
「営業」、「出納」、「国庫」、「文書」、「計算」の5係に組織を変更。 |
1901年4月 (明治34年) |
前年6月の北清事変発生で対清貿易が途絶え、輸出企業の相次ぐ破綻から預金の取り付け騒ぎが広がったため、「京都組合銀行救済手続」を制定。 市中の動揺は一旦沈静した。 |
1901年5月 | 関西貿易会社の破綻を契機に取り付け騒ぎが再発。 大阪支店から現金回送をうけ、金融機関に緊急貸出を実行。 |
1903年9月 (明治36年) |
事務量が次第に増加し、営業上の不便が多くなってきたため、「下京区(現・中京区)三条通高倉西入ル菱屋町48番地」に新営業所着工。 |
1906年6月 (明治39年) |
新営業所竣工。 |
1906年7月 | 新営業所に移転(現・京都文化博物館)。 |
1911年6月 (明治44年) |
京都支店と改称。 |