沿革

盛岡事務所は昭和20年8月10日、盛岡市紺屋町の岩手殖産銀行(現在の岩手銀行)本店の一室を借り開設されました。

当事務所が開設された時期は、太平洋戦争の末期に当ります。設立された昭和20年の初頭には、太平洋戦争の戦局が日増しに厳しくなり、交通・通信事情が悪化していく中で、地方行政機関への権限委譲が進み、金融上の措置についても県単位で対応する事項が増加していました。

このため日本銀行は、それまで支店のなかった県庁所在地(26都市)に順次駐在員事務所を置くこととし、昭和20年4月から戦後の昭和21年5月までの一年余りの間に、24都市に事務所を新設したのです。

当時の記録によれば、「支店所在地以外の地方行政庁所在地に駐在員を置く必要」として、以下の3点を挙げています。

  1. (1)近時地方行政機関の権限強化拡大と共に金融上の措置に付いても、府県単位に考慮すべき事項多く且つ当該地方行政庁と連絡を密にする必要痛切に感せられ居ること。
  2. (2)近来交通上の障碍、電信電話の不通遅延等不便尠なからず、各支店管内に於ても遠隔の地との連絡には特別の措置を講するの要あること。
  3. (3)非常時に於ける交通通信の途絶に際し、機宜の処置を採り得る様、本行の布陣を考慮するの要あること。

この期間に設立された事務所は東北地方以北では、当事務所以外に青森・山形・豊原(樺太)の3か所。なお、東北地方では福島(明治32年)、秋田(大正6年)、仙台(昭和16年)にすでに営業所が設けられており、これらにより現在の東北地方の拠点が確立しました。

事務所開設当時の岩手県の状況といえば、8月9日には日本有数の製鉄所を有する釜石地区が艦砲射撃をうけ、翌10日には、花巻・一ノ関等の県内主要都市が空襲されるという、まさに戦争末期の混乱期にありました。

設立当初の職員は所長以下4名。事務所開設直後に終戦を迎えましたが、戦時の余波を受け、仙台支店の事務(当座勘定付替、手形貸付)取次を行うなど、戦後事務が相当嵩んだようです。

その後、岩手銀行の現本店新築に伴う移転(昭和58年)等を経て現在に至っています。

ちなみに当事務所の開設について、当時の地元紙(新岩手日報(現岩手日報)昭和20年8月9日付)では、「日銀駐在員事務所開設」の見出しで次のように報道されています。

「日銀仙台支店では、岩手殖産銀行内に盛岡駐在員事務所を開設することになり、10日から業務の取扱を始める。駐在員事務所の取扱業務は、従来、殖産銀行や安田銀行支店等で常時仙台支店まで出掛けて日銀券の受領、返還をしていたが、特別措置によって現送の不便を解消すること、又非常の場合、交通が途絶しても当地で通貨の供給に遺憾なきを期す等準備しておくことで、その他資金調整法、銀行等貯金運用令、企業整備資金措置法、会社経理統制令等諸統制法規関係の申請書も受付けることになっている。(以下略)」