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公表資料・寄稿

寄稿等

「消費」はどこに行くのか?

宮沢りえの写真集が世間の話題をさらった時、尊敬する国語教師に見解を求めたところ、「人間の肉体すらも消費の対象となる高度資本主義社会を痛感する」と返され、なるほどうまいことを言うものと感心したのは高校生の私でした。

景気を左右する「個人消費の堅調さ」を気にかける立場にある今も、「消費」という人間活動の在り方については、多少の屈託を交えて眺めてしまうところがあります。

例えば、家電製品や自動車のような耐久消費財について、買い替えまでの期間が長期化しており、購買が伸び悩んでいるといった話をするわけですが、17年連れ添った愛車に乗るもう一人のワタシからすれば、「日本人が物を大事に使うようになったということでは」という感想になるわけです。

ここ数年、平均的な賃金は増えていますが、物価の上昇は、ともすればそれを上回るペースに感じられます。多くの人々が一通りのモノを既に持っている時代に、売れる・売れないの二極化が進むのは必然。ムダな出費を控えながら、特別な価値を感じられる商品には、惜しみなくお金をかける人も増えているようです。

物質的・刹那的な「消費」でなく、精神的・継続的な生活の幸福が、これからの社会では強く求められることでしょう。自社の製品やサービスがまとっている「価値」や「ストーリー」を改めて立ち上げ、訴求する誰かを明確に意識することが欠かせないように思います。(日本銀行大分支店長)