1942年2月 |
旧讃岐会館(高松市古新町)に高松支店を開設
日本銀行高松支店は第二次大戦真っ只中の1942年2月に開設されました。四国においては、既に松山支店(1932年11月)が開設されていましたが、戦火が島内で広がる中にあって、お金を一層円滑に供給することや、当時から行政の中心となっていた高松において、国のお金を一元的に取扱う必要性などから、高松にも日本銀行の支店が設置されることとなった訳です。開設当初の店舗は、旧高松城主松平頼壽氏所有で市の公会堂として使用されていた木造2階建ての「讃岐会館」があてられました。
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1945年7月 |
空襲のため金庫を除いて全焼
1942年2月に開設された高松支店ですが、わずか3年後、1945年7月4日の高松空襲で金庫を除き全焼しました。しかし、建物がなくなったからといって、日本銀行が業務を止めてしまうと、市中のお金の流れが止まってしまうことになります。そこで当店では、戦火を免れた百十四銀行本店(現在の百十四銀行高松支店)の一角をお借りして、空襲に遭った翌日から業務を再開しています。この功績をたたえられ、新紙幣の肖像に採用予定の渋沢栄一氏の嫡孫で、当時の総裁であった渋澤敬三氏より感謝状を賜りました。
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1945年8月 |
旧高松信用組合(現・高松市美術館が立地)の建物を受継ぎ営業
二代目の店舗は、1945年8月に旧高松信用組合の建物を受け継いで営業を行いました。同店舗の金庫内部は2階建ての構造となっていたこともあり、2階部分に収容されている大量の現金の出し入れは、全て手作業により階段で運ぶという過酷な作業を強いられていたようです。
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1978年9月 | 寿町(旧法務局跡地)にて新店舗建設着工 |
1980年4月 |
寿町へ店舗移転
1980年に現在の場所に移転することになりましたが、移転に当たってはパトカー、白バイ、警察犬のほか制私服警官180人の厳戒体制による空前の「現金輸送大作戦」がとられました。
日本銀行高松支店の歴代支店長は、日本銀行第24代総裁の前川春雄氏(故人)、第29代総裁の福井俊彦氏などが歴任していますが、この移転は、福井俊彦氏が第20代高松支店長として在任していた時代に行われています。
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