前橋支店の開設の経緯

前橋支店の開設の経緯等

日本銀行前橋支店が開設されたのは昭和19(1944)年のことです。それ以前は、日本銀行の創業以来、関東地方に支店はなく、関東全域における必要資金の授受をすべて本店が担っていました。

太平洋戦争が激しくなり、関東地方でも空襲の被害が大きくなると、群馬県下の金融界は産業資金のやり取りが必要とされながらも、次第に本店からの資金移動が困難となってきました。

こうした中、当時の日本銀行の総裁であった渋澤敬三が「(空襲の激化により)いつ本店がやられるかも知れん。近い支店は新潟・福島・松本しかない。また利根川の橋を爆撃されたら北関東は金融的に孤立する」として、当時北関東における金融の拠点として栄えていた前橋の地に、日本銀行の支店を開設することを決めました。かくして、昭和19(1944)年12月11日、本行24番目の支店として前橋支店の営業が開始されたのです。

開店時の人員は、行員18名、事務員4名。店舗は現在の千代田町にあり、本館は旧上毛貯蓄銀行(現:群馬銀行)から購入した鉄筋コンクリート2階建てのクラッシックな風格漂う建物でした。

支店開設のわずか8か月足らずの昭和20(1945)年8月5日の夜、前橋を襲った大空襲により、当店も大きな被害を受けました。本館が外側部分を残して焼失し、宿直当番として店舗に残っていた職員4名が空襲を受け殉職。こうした大きな悲しみも冷めやらぬ中、前橋市内にある大部分の銀行が焼失したことから、当該地域の金融機能をいち早く回復させるため、前橋支店は8月7日に営業を再開しました。

日本銀行前橋支店は、開店直後にこうした悲劇に直面したものの、その後、北関東経済の戦後における高度成長期を支え、その後の地域経済の安定維持に貢献し、現在に至っています。

なお、現在、関東1都6県(東京都、茨城県、神奈川県、群馬県、埼玉県、千葉県、栃木県)における日本銀行の支店は、前橋支店と横浜支店の2店舗のみとなっています。