当店の歴史

 明治

明治15(1882)年10月  日本銀行開業

 

 昭和

昭和20(1945)年04月  長崎事務所開設(横浜正金銀行長崎支店内)

昭和20(1945)年08月  長崎市へ原爆投下

昭和22(1947)年05月  長崎支店開設を内定

昭和24(1949)年03月  長崎支店開設(旧営業所

旧営業所は、長崎市から提供を受けた旧長崎市立博物館を増改築し、現所在地において営業を開始しました。

 

日本銀行長崎支店旧営業所

昭和25(1950)年10月  長崎県貯蓄推進協議会発足(事務局 日本銀行長崎支店)
              日本観光地百選で長崎市が1位になる

昭和32(1957)年07月  諫早大水害に伴う金融特別措置実施

諫早大水害では、1日588ミリを記録する豪雨で市内全ての河川が氾濫し、上流部では山津波が発生しました。死者・行方不明者815名、被害総額は約90億円にのぼりました。

長崎財務事務所と日本銀行長崎支店は、民間金融機関等に対し、印鑑や通帳紛失者に対する預金支払や、定期預金の期限前支払等の預金特別支払いを要請しました。

昭和33(1958)年11月  「長崎県貯蓄推進協議会」を「長崎県貯蓄推進委員会」に名称変更  

昭和37(1962)年09月  福江大火に伴う金融特別措置実施

昭和42(1967)年11月  長崎バイパス開通

昭和44(1969)年09月  長崎夏季国体開催

昭和44(1969)年10月  長崎秋季国体開催

昭和45(1970)年04月  長崎開港400年記念式典開催

昭和50(1975)年05月  長崎空港開港(世界初の海上空港)

昭和51(1976)年08月  長崎支店新店舗建設着工

昭和53(1978)年12月  新営業所での営業開始

新営業所は、柱列や瓦屋根を採用し、地元諫早の自然石を使った塔屋をシンボルとするなど、長崎らしい雰囲気を表現するよう配慮されました。四角い箱型の営業所が多い中、とてもユニークな設計が施されました。

日本銀行長崎支店新営業所(当時)

昭和56(1981)年01月  銀行券自動鑑査機導入

昭和57(1982)年07月  長崎大水害に伴う金融特別措置実施

長崎大水害では、総雨量572ミリという猛烈な雨を観測。長崎市は斜面が多いため、豪雨が一気に斜面を流れ、がけ崩れや土砂災害、河川の氾濫が同時に発生。死者・行方不明者299名、被害総額約3,200億円という甚大な被害がもたらされました。

日本銀行長崎支店には、大量の「ぬれて汚れたお札」が持ち込まれたため、屋上や電気コンロで乾かしながら、合計22万5千枚、8億2千万円におよぶ引換えを実施しました。

昭和63(1988)年10月  日銀ネット稼動開始

 

 平成

平成02(1990)年08月  長崎旅博覧会を開催

平成03(1991)年05月  組織変更実施(発券課・国庫課・営業課・文書課の4課制を
              発券課・業務課・総務課の3課制に移行)

平成03(1991)年06月  雲仙普賢岳噴火に伴う金融特別措置実施

雲仙普賢岳噴火活動は1990年11月から1995年2月まで続き、38回の土石流と7回の大火砕流が発生しました。死者41名、行方不明者3名、負傷者12名、建物の被害2,511件、被害額約2,300億円と大きな被害がもたらされました。

平成08(1996)年04月  長崎支店ホームページ開設

平成13(2001)年07月  長崎県貯蓄広報委員会」を「長崎県金融広報委員会」に名称変更
              (平成11年に「長崎県貯蓄推進委員会」を「長崎県貯蓄広報委員会」に名称変更)

平成16(2004)年03月  統合国庫記帳システム稼動開始
              (政府機関口座の受払記帳事務および口座間の振替事務を電子化)
              長崎自動車道全線開通・ながさき出島道路開通            

平成20(2008)年03月  九州新幹線西九州ルート(長崎ルート)の着工が決定

平成26(2014)年10月  長崎がんばらんば国体開催

平成27(2015)年07月  世界文化遺産に「明治日本の産業革命遺産」が登録

平成27(2015)年10月  新日銀ネットの全面稼動開始

平成29(2017)年09月  営業所大口営繕工事終了

平成30(2018)年01月  「金融教育フェスタin長崎」開催

平成30(2018)年07月  世界文化遺産に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が登録

平成31(2019)年03月  支店開設70周年