1917(大正6)年8月1日、熊本支店は営業を開始しました。
所在地は、現在の辛島町にあたる船場町で、現在の山崎町に移転するまでの40年間に亘り、営業を続けました。
開設時には永池 長治初代支店長以下20名の職員が配属されました。
当時の支店の写真からは、三角屋根が特徴のレンガ造りの店舗である様子が見て取れます。
日本銀行は、1882(明治15)年10月に東京(本店)で開業した後、大阪支店を皮切りとして、明治時代に9つの支店を設置しました。
九州における日本銀行の支店は門司に設置した西部支店(現在の北九州支店)のみでした。
大正時代に入ってからも、各地で支店開設希望が寄せられ、各県は熱心に本行の支店誘致を持ちかけたようです。
当地で、その中心的な役割を担ったのが、熊本商工会議所の第5代 林 千八会頭とされています。
幾つかの資料には、熊本への支店誘致の成功は、「林会頭の輝かしい成果として、後々まで語り継がれている」との記録が残されています。
日本銀行は当時、支店開設地の選定に当たり、全国的に拡がりつつあった鉄道網の発達状況や地域的なバランスを考慮しつつ、 農村金融(主として米穀、生糸)の中心地から候補地を選んだとされており、熊本支店は全国で12番目、九州では西部支店(現在の北九州支店)に次ぐ 2番目の設置となりました。
軍事、行政、教育の中心地であった熊本では、南九州(熊本、鹿児島、宮崎)および沖縄の4県を統括することになりました。
熊本支店は、1953(昭和28)年6月の熊本大水害で、金庫に保管していた紙幣が水浸しになりました。
当時の記録には、支店の職員が本店への状況報告の電報を打つために、氾濫する川を越えて必死の思いで熊本中央郵便局に向かい、 製紙工場の協力を得ながら、使えなくなった銀行券の廃棄を進めたといった逸話が残されています。
この被災経験を受けて、現営業所である山崎町に移転することが決定し、1957(昭和32)年4月30日に営業を開始しました。
船場町から山崎町の現店舗までの距離は遠くありませんが、保管する現金の確実・安全な移管作業にあたっては、 関係者の多大な協力を得ながら、作業を進めたと聞いています。
(注)2017年6月23日に作成されたものをそのまま掲載しているため、ファイル内に記載されているURLは現在有効なURLと異なります。