日本銀行高知支店
 
トップページ > 知ろう!楽しもう!土佐とおかねと日銀坂本龍馬とおかね
田中良助への借金2両
 

1861年、当時、土佐藩の尊王攘夷運動のリーダー的存在であった武市瑞山は、江戸で土佐勤王党を発足させ、その年の9月に土佐へ戻ると龍馬を始め郷士を中心に約200人の同志を集め、土佐藩の政策方針を勤王に仕向けるべく本格的に活動を開始しました。

1861年10月14日(龍馬27歳)、龍馬は、武市瑞山の指示を受け、長州(現山口県)萩の久坂玄瑞(高杉晋作と並ぶ勤王運動のリーダー)に書状を届けるため(藩庁には讃岐<現香川県>への剣術修業の名目で届け出)に、丸亀に旅立ちました。その際、坂本家の山林を管理するなど、以前から交流の深かった田中良助(龍馬より15歳年長、現高知市初月[みかづき]地区所在)を訪ね、旅費として2両(利子1割5分<当時の土佐藩内では普通金利>)を借用しました。

借用証書がそのまま残っていますので、おそらく返済されなかったものと考えられています。

田中良助はその後、1877年(明治10年)に58歳で亡くなりました。

         今のお金に換算すると?

            
40万円

4コマ漫画(田中良助への借金2両@)

4コマ漫画(田中良助への借金2両A)

4コマ漫画(田中良助への借金2両B)

4コマ漫画(田中良助への借金2両C)
  
戻る  

龍馬とおかねTOP
次へ

Topページのトップへ戻ります



Copyright Kochi branch, Bank of Japan All Rights Reserved