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公表資料

第2回 佐賀県の銀行の始まり

明治9(1876)年、国立銀行条例が改正されました。これにより、国立銀行は、お札の金兌換義務(第1回参照)がなくなり、資本金の80%までお札を発行できるようになったことから、全国各地で設立が相次ぎました。

佐賀県では、明治12(1879)年2月に、第九十七国立銀行(小城市)と第百六国立銀行(佐賀市)が設立されました。両行とも、元の藩主・邑主の主導により設立された点が特徴です。設立時期が全国に比べて遅れたのは、佐賀の乱(明治7<1874>年)や西南戦争(明治10<1877>年)の影響といわれます。

その年、政府は、第百五十三国立銀行(京都府)を最後に国立銀行の設立を禁止しました。西南戦争後のインフレの中で、国立銀行によるお札の発行量を増やしたくなかったためと考えられます。

因みに、国立銀行は、すべて認可順の番号が行名に付けられていました。現在も行名にその番号が残っている銀行があります。若い順に、第四北越銀行(新潟県)、十六銀行(岐阜県)、十八親和銀行(長崎県)、七十七銀行(宮城県)、百五銀行(三重県)、百十四銀行(香川県)、の6行です。なお、八十二銀行(長野県)は、昭和6(1931)年に、第十九銀行(長野県)と第六十三銀行(長野県)の合併でできたため、両行の数字の合計が新しい行名になっています。