公表資料
第4回 国立銀行の解散
明治15(1882)年、中央銀行として日本銀行が設立されました。これにより、これまで国立銀行や政府が行っていたお札の発行は全て日本銀行が担うことになりました。
合わせて、政府は、金融制度の整備を進めます。明治16(1883)年、国立銀行条例を見直し、お札を発行する国立銀行は、営業期間20年(最長で明治32<1899>年)をもって解散することを決めました。また、明治23(1890)年に、銀行条例と貯蓄銀行条例を公布し、私立銀行や銀行類似会社を普通銀行として制度化するとともに、小口預金を集める専門の貯蓄銀行を設立できるようにしました(ともに明治26<1893>年施行)。
佐賀県でも、国立銀行が相次いで解散しました。第九十七国立銀行は小城銀行(小城市)に営業を引き継ぎ、明治32年に解散、第百六国立銀行は、明治31(1898)年に佐賀百六銀行という普通銀行になりました。また、山形県にあった第七十二国立銀行が明治22(1889)年から県内に移転・開業していましたが、これも明治31年に解散し、(旧)佐賀銀行という普通銀行になりました。
なお、佐賀百六銀行は、昭和16(1941)年に解散した際、本店は住友銀行に営業譲渡され、現在は三井住友銀行佐賀支店となっています。また、小城銀行の本店は、現在の佐賀銀行牛津支店に続いています。