このページの本文へ移動

公表資料

第5回 銀行設立ブーム

明治期半ば以降の日本経済は、好不況を繰り返しつつも、産業の近代化が進みました。日清・日露両戦争の特需もあって、鉄道・電力・製鉄・造船・機械・セメントといった新興産業が発展し、企業の資金需要は旺盛な時代が続きました。

銀行界では、こうした旺盛な資金需要に応えるべく、全国で銀行の設立ブームが起きます。全国の銀行数は、明治34(1901)年に2,308行(普通銀行1,867行、貯蓄銀行441行)とピークに達しました。これは銀行条例が施行された明治26(1893)年(568行<同545行、23行>)の約4倍、現在の銀行数の約17倍にあたります。

佐賀県でも、銀行が相次いで設立されました。明治26年には普通銀行が9行でしたが、明治34年には22行(普通銀行20行、貯蓄銀行2行)、大正10(1921)年にはピークの38行(同34行、4行)となりました。

佐賀県の銀行数は全国が減少に転じる大正期になっても増加していますが、これは、県内産業の近代化が遅れて始まったためです。県内では、明治も終わりになって、石炭産業への大手資本の進出や地場新興企業の設立(唐津鉄工所、深川造船所、佐賀セメント、佐賀紡績、九州製粉など)、陶磁器業界の経営近代化(香蘭社、深川製磁など)といった動きがみられるようになりました。