公表資料
第7回 県内2行時代の到来
太平洋戦争に向かう中で、佐賀県内に2つの大手銀行が生まれます。
一つは、佐賀中央銀行(唐津市)です。昭和6(1931)年に唐津地域の2大銀行であった唐津銀行と西海商業銀行が合併してできました。唐津銀行は、大正14(1925)年に佐賀市の有力銀行の栄銀行を合併していましたので、県内2大商業地を基盤とする銀行ができたことになります。
もう一つは、佐賀興業銀行(武雄市)です。昭和14(1939)年に、伊万里銀行(伊万里市)、有田銀行(有田町)、洪益銀行(同)、武雄銀行(武雄市)の4行が合併してできた銀行で、県西部一帯を営業基盤としていました。
その後は、戦時統制下のもと、両行を軸に銀行再編が進みます。佐賀興業銀行は、昭和15(1940)年に嬉野銀行(嬉野市)と塩田銀行(同)を、昭和16(1941)年には小城銀行(小城市)、伊万里実業銀行(伊万里市)、多久銀行(多久市)、浜銀行(鹿島市)、鹿島銀行(同)を、昭和17(1942)年に蓬莱銀行(武雄市)を合併しました。また、佐賀中央銀行も、昭和18(1943)年に呼子銀行(唐津市)を、昭和19(1944)年に肥前合同貯蓄銀行(同)を合併しています。
この間、上記以外の銀行は、廃業や破綻、県外銀行の買収などで消滅した結果、昭和19年には県内の銀行は2行となり、そのまま終戦を迎えます。