日本銀行高知支店
 
トップページ > 知ろう!楽しもう!土佐とおかねと日銀 > 土佐の藩札 
 

 江戸時代、徳川幕府によって金・銀・銭貨を基本貨幣とした三貨制と呼ばれる貨幣制度が成立しました。こうした貨幣は江戸・大阪・京都といった大都市やその周辺地域では比較的流通していましたが、その他の藩では、大阪や江戸で米や特産物(土佐藩ではカツオやクジラなど)を売る以外に幕府の貨幣を流入させる方法が殆どなく、円滑に取引を進めるために必要な貨幣を十分確保することは容易ではありませんでした。このため、特に年貢米が相対的に少ないとか、コメ以外の現金収入の途がないなど、財政構造が脆弱な藩では、天災や飢饉を機に財政が窮迫したり、経済が発展するに従って通貨不足に直面するといった状況に置かれていました。このような事態を改善するため、徳川幕府の許可を得たうえで導入されたのが、1661年(寛文元年)の福井藩に始まる、幕府の貨幣を発行裏付けとした藩札の発行でした(1630年の福山藩という説もあります)。


 土佐藩では1663年(寛文3年)正月、野中兼山執政時代に初めて藩札が発行されましたが、藩札自体が風雨に弱く、藩の外の商人にも通用しないため、8か月で廃止されました。次に発行されたのは1702年(元録15年)11月です。当初10年間の通用期間を予定していましたが、やはり藩の外の商人に通用せず、また、藩札に対しての領民の認識も深まらなかったうえ、徳川幕府から各藩に対して通用停止令が通知されたことから1707年(宝永4年)8月に使用停止(1730年に解除)となり、その後、土佐藩では幕末まで発行が途絶えました。なお、それまでの間、幕府貨幣以外の通貨が全くなかったわけではなく、1816年(文化13年)には、“秋町会所札”が発行されたほか、“佐川預り札”や“宿毛札”など、各地域単位で別途、信用札といわれるものが発行されていました。

維新前後は幕府からの命令による湾岸防衛費用の負担や藩自身の政治活動が盛んになり財政面の支出が激増しました。このため1866年(慶応2年)10月に発行されたのが、1分、2分、1両、2両、5両の金札5種です。当初、通用期間は3か年とされましたが、実際には延期され、さらに1朱、2朱の金札や十匁などの銀札、合わせて30種程度の藩札が増刷されました。その発行された量や種類の多さから、当時、藩内では言語に絶する混乱があったといわれています。ちなみに廃藩置県時に土佐藩が政府に届け出た引き換え未済みの金札(世間に出回っていた金札の量)は220万両です。

 このように土佐藩では多くの藩と同様、藩札の発行は成功したとはいえませんでしたが、中には福井藩のように成功した藩もありました。そうした藩では、藩札自体が丈夫であったほか、安易に紙幣を増刷しないことや藩札の裏付け資産をきちんと管理することなどによって、藩内外からの信用をきちんと確保していたようです。

 
@土佐国 高知藩札 【銀1匁】 元禄16年(西暦1703年)発行
  1匁、五分、四分、三分、二分の5種が発行された。現存する高知藩の最初の札。
 

 表  
 
A土佐国 高知藩札 【銀2匁】 宝永元年(西暦1704年)発行
  二匁、一匁五分の2種が追加発行された。
 
 表  
 
B土佐国 高知藩札 【金2両】 慶応2年(西暦1866年)発行
  五両、二両、一両、ニ分、一分の5種が発行され、翌年に補助札としてニ朱が追加発行
  された。
いずれも銅版にて印刷した赤札で(ニ朱のみ木版)、偽造を防止するために「土左」
  の漉出しを施してある。
表上段の雲の形は額面の数を表現した珠の雲紋となっている。
  
裏に「通用限戊辰(慶応4年)」と記され、通用は短期間であった。
 
 表
 
C土佐国 高知藩札【金2朱】 慶応3年(西暦1867年)発行
 
 表  
 
D土佐国 高知藩札 勧業局手形 【銀30匁】 慶応3年(西暦1867年)発行
  三十匁、二十匁、十匁の3種が発行された。
  勧業奨励の為に勧業局が発行した札。通称「種屋札」。土佐の準専売品である砂糖の
  販売を高知城下の豪商種屋小平次と、大阪の問屋銭屋佐兵衛との間で手形取引を行わせ
  た際に使用された札である。裏面には発行番号を墨書きし、引替は毎月奇日(奇数日)の
  巳刻から午刻とし、「通丁 種屋小平次 引替所」と記されている。
 
 表  
 
E土佐国 高知藩札 勧業局手形 【銀50匁】 慶応3年(西暦1867年)発行
  五十匁、四十五匁、四十匁、三十五匁、三十匁、二十五匁、二十匁、十五匁、十匁の9種が
  発行された。上記「種屋札」とは裏面が異なる。
 
 表  
 
F土佐国 高知藩札 勧業局手形 【銀20匁】 慶応3年(西暦1867年) 発行
  第二は、二十匁、十五匁、十匁の3種が発行された。
  表中央に第二、第三、第四とあるがその目的や発行年月日の詳細は不明である。
  第二、第三、第四の文字以外の同匁札は、全てが同じである。
 
 表  
 
G土佐国 高知藩札 勧業局手形 【銀40匁】 慶応3年(西暦1867年)発行
  第三は、四十匁、二十匁、十五匁、十匁の4種が発行された。
  第四は、二十匁、十匁の2種が発行された。
 
 表  
 
H土佐国 高知藩札 【銀9匁】 慶応4年(西暦1868年) 発行
  十匁〜一匁の10種が発行された。
  表・裏は同一絵柄だが、裏上段の番号のみが異なる。
 
 表  
 
 ☆藩札画像:日本銀行貨幣博物館所蔵資料(画像のコピー・無断転載等禁止)
 ☆個別解説の出典:刈谷茂正氏編「四国古紙幣図録」
 ☆その他参考文献 
  「土佐藩」(平尾道雄、吉川弘文館、1965年)
  「藩札の果たした役割と問題点」(檜垣紀雄、日本銀行金融研究所金融研究、1989年)
  「委託研究から見た藩札の流通実態」(鹿野嘉昭、日本銀行金融研究所金融研究、1996年)
  日本銀行金融研究所貨幣博物館ホームページ「わが国の貨幣史」、「お金に関するFAQ」


戻る    

Topページのトップへ戻ります




Copyright Kochi branch, Bank of Japan All Rights Reserved