日本銀行高知支店
 
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土佐と日銀の関わり
 
高知県出身の日銀総裁
 
【第3代総裁】
 川田小一郎の写真  
  氏名:川田 小一郎 (かわだ こいちろう) 
  就任:明治22年9月3日 
  退任:明治29年11月7日 
 
 

 川田小一郎は、天保7年(1836年)に土佐藩郷士の子として土佐郡旭村(現:高知県高知市)に生まれました。その後、藩の会計方を経て、明治4年(1871年)に九十九商会(後の三菱商会)に幹部として加わり、岩崎彌太郎、彌之助を強力にサポートし、三菱財閥の基礎づくりに手腕を発揮しました。

 明治22年(1889年)、大蔵大臣松方正義の推薦により設立間もない日本銀行の第3代総裁に選ばれ、中央銀行の機能確立に貢献しました。現在の日本銀行本館をつくったのも川田です。ちなみにこの建築を主任として指揮したのが後の第7代総裁高橋是清。当時無一文であった高橋に川田が声をかけ、建築事務主任に任命したのです。なお、第5代総裁山本達雄を日本銀行に採用したのも川田です。

 明治23年(1890年)、貴族院勅撰議員、後、男爵となり明治29年(1896年)に総裁のまま60歳で亡くなっています。

 
【第4代総裁】
 岩崎彌之助の写真  
  氏名:岩崎 彌之助 (いわさき やのすけ) 
  就任:明治29年11月11日 
  退任:明治31年10月20日 

 4代目の日本銀行総裁である岩崎彌之助は、嘉永4年、土佐に生まれ、大阪で漢学を学んだ後、明治5年米国に留学し、帰国後は兄・彌太郎とともに三菱財閥の基礎を築きました。明治18年、2代目当主となると、不振に陥っていた三菱財閥の再建に尽力したほか、明治23年には貴族院議員に勅選されました。

 日本銀行第4代総裁に就任直後の明治30年、わが国では金本位制度が採用されました。そうした状況下、日本銀行からの借入に依存して利鞘を稼いでいたわが国銀行の経営を正常化すべく諸策を講じたほか、為替専門銀行であった横浜正金銀行との協調関係確立に努力しました。また、はじめての試みとして市中金融機関から国債を買上げるオペレーションを限定的に導入し、金融政策手段の多様化を図ったことでも知られています。

 明治31年、「病気激務に耐えざる」との理由で総裁職を辞任しましたが、公定歩合の引下げを巡る政府との見解の相違が辞任の引き金となったとの説もあります。明治41年、病気のため58歳で亡くなっています。

(出典:広報誌『にちぎんクオータリー(1998年冬季号)』)




高知県産のみつまたがお札の原料として使われています
みつまたの写真
 
〜高知では12月頃から順次開花〜

枝の先に小さい手まりのような黄色の花が咲き
始める頃、みつまた加工作業の最盛期を迎えます。

 ■ジンチョウゲ科の落葉する低木植物。
  枝が三つ又に分かれることから命名。
 ■山間の傾斜地で栽培され、降雨量が多く、排水良好な地に
  適している。
 ■種を植えてから3年毎に収穫できる。
  株の寿命は3回目の収穫を終えるまで。
 ■海外では、中国、韓国などにも分布している。




高知県産のみつまたがお札の原料として使われています


百円券の写真
百円券(76×148mm)

肖像:板垣退助(高知県出身)
発行開始日:昭和28.12.1
支払停止日:昭和49.8.1

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