日本銀行横浜支店の事務所開設(昭和20年)に始まる歴史を写真や文献で振り返りました。
横浜正金銀行本店(現在の神奈川県立歴史博物館)
(写真提供:神奈川新聞社)
終戦と同時に連合国軍の主要駐屯地となった神奈川県では、駐屯軍所要資金の受払など重要問題の発生も予想され、金融機関の指導、現地官庁との連絡など、駐在員事務所を開設する必要性が高かった。このため、横浜に終戦後最初の駐在員事務所を開設することが決定し、昭和20年8月28日、横浜正金銀行本店(現在の神奈川県立歴史博物館)の一室に日本銀行横浜駐在員事務所が開設された。
昭和27年当時(取得した用地)
(写真提供:神奈川新聞社)
終戦後、民間貿易の再開に伴って金融取引は漸次拡大し、疲弊した企業の生産力復興のための資金需要も次第に活発化した。しかし、当時の日銀横浜事務所では、自ら銀行券の取り扱いができず、地域金融の順便化を図るうえで不十分な状況であった。そこで日本銀行は、連合国軍に対し横浜事務所の事務を拡大するために何度か用地の接収解除を申請したが、承認には至らなかった。
その後昭和25年9月、横浜商工会議所、横浜貿易協会および横浜銀行協会は、横浜市長あてに市有地を日銀横浜支店設置用地として提供して欲しい旨の懇願書を提出、横浜市は進駐軍に接収解除を申請したが、当局からは「考慮し難い」という回答しか得られなかった。
意見書・陳情・要望等(写真提供:神奈川新聞社)
昭和27年1月、横浜事務所長は横浜市から土地提供の申し出を受けた。これは、当時日銀が分散所有していた土地について、横浜市が都市計画を遂行するうえで支障があるため、米軍から接収解除されることになった中区の民有地のうちの一部を横浜市が買い取ったうえ更地とし、これを日銀所有地と等価交換の形で提供しようというものであった。
しかし用地は取得したものの支店設置については依然難航し、その後、神奈川県議会、横浜市議会のほか、横浜商工会議所、横浜銀行協会、横浜貿易協会などから、意見書、陳情、要望などが相次いで提出されたが、進展をみることはなかった。
当時、日銀券は寄託券(支店がない地域で、必要に応じ予め特定の日銀取引先に日銀職員立会いのもとに受払いを委嘱する仕組み)として、横浜銀行本店と東京銀行横浜支店の2箇所に置かれていたが、昭和41年、東京銀行横浜支店が新店舗へ移転することに伴い寄託券を置かないことになった。既に横浜における寄託券受払い高は、横浜銀行1行のみで受払いを担当することは困難な規模であったため、東京銀行横浜支店への寄託券廃止を機に横浜事務所が直接銀行券受払いを行うこととなった。
こうして、昭和39年6月25日、待望の横浜事務所新築が決定された。
横浜事務所の新店舗(写真提供:神奈川新聞社)
昭和40年1月14日、待望の新築工事が始まった。新築される横浜事務所は、米国ワシントンD.C.にある連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board)のように広々とした敷地に塀を設けず、低い建物として樹木等を配するという特命により設計され、ついに昭和41年2月、鉄筋コンクリート造平屋建、総面積536坪の建物が完成。こうして地元の念願がようやくかなえられた。
神奈川県下の経済の急速な発展、東京のベッドタウン化の進展による人口増などを背景に、通貨の受払物量の大幅な増加が予想されたことから、昭和45年10月、日本銀行では横浜事務所の拡張案の検討が開始され、昭和47年9月新店舗増築工事に着工、昭和49年3月に増築店舗が完成し、同年3月18日から新店舗で営業を開始した。
そしてついに昭和49年4月1日に横浜事務所が「支店」に昇格したのである。