旧館建物探訪
旧館外観
日本銀行大阪支店の顔ともいえるのが、南北に延びる御堂筋に面し、ドーム型の屋根を持つ旧館です。
旧館は、明治36(1903)年に建設されました。日本銀行大阪支店は、堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島に位置しています。この場所には、江戸時代、島原藩や水戸藩の蔵屋敷が軒を並べ、明治の初めには、現在の郵便局に当たる「駅逓司(えきていし)大阪郵便役所」が大阪で最初に設けられました。また、同役所が移転した後は「内務省大阪衛生試験所」(官営の医薬品試験機関)が設置され、移転するまでの間、現在の新館敷地内の一部に、大阪経済の基礎を築いた実業家の五代友厚が一時、私邸を構えたこともありました。
設計は、「日本近代建築の父」と言われる辰野金吾によるものです。辰野は、重要文化財に指定されている日本銀行本店や東京駅丸の内駅舎などを設計したことでも知られています。
デザインは、ベルギー国立銀行等をモデルにした古典主義の流れを受けています。
築後80年を経て老朽化と地盤沈下が進んだため、当初は取り壊される予定でしたが、「歴史的価値のある建物をぜひ残してほしい」という大阪市民や文化庁からの強い保存要請を受け、可能な限り面影を残す形で昭和55~57(1980~1982)年にかけて改築工事が行われました。御堂筋側から見える東、北、南側の外壁のほか、中央のドームとその両側に配置された三角屋根は、往時の姿をとどめています。内部については、旧貴賓室、大階段などを復元・保存しているほか、見学者に支店の業務や歴史を説明するための広報ルームを設けています。
旧館外観の詳しいご紹介
ドーム型屋根
旧館の屋根は、真ん中にドーム型の屋根とその両脇に三角屋根(四角すい)を組み合わせた形になっています。
三角屋根
ドーム型の両横にある三角屋根の部分はガラス製の素材を用いています。かつて、三角屋根の下が天井吹き抜けのロビーであったため、採光効率を高める工夫がなされていました。
避雷針
旧館の屋根に「アンテナ」らしきものが突き出ているように見えますが、これは明治建築以来の避雷針(ひらいしん)です。全部で6本あります。こちらはドーム型屋根に設置されている避雷針の写真です。
玄関ポーチ
角柱と丸柱の混用とイオニア式柱頭飾りの重厚な装飾がなされています。このようなデザインはバロック調と呼ばれる建築様式であり、17~18世紀にかけてヨーロッパで広まったものです。
コンコース
正面玄関を入ってすぐは旧館2階までの吹き抜けになっていて、その先は中庭に通じるコンコースとなっています。これらの部分は復元・改築工事により、昭和57(1982)年に設けられました。正面玄関の鉄扉は通常は閉まっており、開けられることはありません。
外壁
旧館の外壁については、昭和55~57(1980~1982)年の改築工事の際、花崗石とその内側のレンガ壁をそのまま残し、内側に鉄筋コンクリート壁式構造で新しい構造体を設け、鉄筋アンカーによって保存部分と一体化しました。また、建築当時の壁面は白色系でしたが、明治以来からの煤煙(ばいえん)や、戦時中に空襲を回避するために塗られた薄墨などの汚れが付着し、壁面が薄黒くなっています。そうした汚れなどを落し過ぎないように注意しながら、新館との色調のバランスをとりました。旧館の改築工事は、御堂筋側から見える東、北、南の壁面だけを残し、西面、屋根、床面を取り外すことによって行い、工事終了後に屋根を再び取り付けました。