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【対談 第3回】近畿大学名誉教授 熊井 英水 ×
大阪支店長 宮野谷 篤

日付:2014.12.1
於:近畿大学水産研究所(和歌山県・白浜)

「地方創生」の声が高まる中、当地でマグロの完全養殖と供給量の拡大に挑戦し続ける近畿大学・熊井名誉教授にお話をお伺いしました。

  • (注)本文では、熊井名誉教授の肩書を熊井教授と略記しています。

支店長:大阪に来て1年近くになりますが、近大マグロのお店の行列はすごいですね。

熊井教授:マグロの生産が追い付いていません。ビジネスパートナーの拡大や国の強力な支援が今後の鍵です。

支店長

まずは、最近の話題からお伺いします。私は、昨年5月に大阪に赴任しまして、グランフロント大阪のお店で近大マグロを食べようとずっと思っていたのですが、ものすごい行列でなかなか入れませんでした。先日ようやく入れまして念願が叶いました。大阪のほか銀座にも出店していてどちらも大人気のようですが、消費者からの評判や工夫していること等があれば教えてください。

熊井教授

まず、出店に関しては、昔、これまで多くの魚の養殖に成功したのだから、大学の近く(東大阪)に店を出したらどうかと提案したことがありました。近大マグロをはじめ、養殖した魚を食べたいというお声と食べて頂きたいとの思いがありました。今でこそ、大阪と銀座に店を出して評価を得ていますが、それまで養殖魚というのは天然魚と比べて非常に低く見られていたのです。

支店長

一般的には天然の方がいいと言われますよね。

熊井教授

根強い天然志向があります。ところが、最近は、食の安全に気を使う人が増えてきた。養殖魚は卵から育てるので身元が保証されている。しかも我々の場合はQRコードでその身元を確認できるように工夫しています。それから、刺身を盛るお皿を近畿大学文芸学部芸術学科の学生が作るとか、全てではないですがメニューは食品栄養学科の学生が作るとか、実学教育を兼ねた総合的な店にしています。それで店の名前も「近畿大学水産研究所」としたのです。

支店長

研究所の名前をお店の名前にするにあたって「堅すぎるのでは」という意見はなかったのですか?

熊井教授

会社帰りにそこらで一杯やってきたと言うのでは、奥さんに「なんだ、またか」と言われるけれど、「水産研究所へ寄ってきた」と言ったら格好がついて良いじゃないかという意見もありまして(笑)。

支店長

メニューには養殖場のある和歌山の名産品も入れていて、地元のことも考えて経営されていることにも感心しました。

熊井教授

そうです。「紀州梅」や「あんぽ柿」を使った酒や料理、郷土料理の「めはり寿司」など多種に渡り、県知事にも近畿大学が協力してくれると喜んで頂いています。

支店長

最初にお刺身を食べてマグロ以外も非常に美味しいと思いました。マグロはトロはもちろんですが赤身がものすごく美味しいと感じました。欲をいえば、最後にマグロの握り寿司を食べたいと思ったのですが、これはメニューにないですよね。

熊井教授

寿司飯に非常に合いますのでメニューに加えたいのですが、マグロの供給量が足りなくてできないのです。先日、我々が育てたマグロの稚魚を豊田通商さん※の漁場に持っていって餌など条件を同じに育て、その成魚を「近大マグロ」と認定しました。「近大マグロ」は商標を取っていて、我々のところで産まれたものを、「我々の方法」で育てたもののみを指します。稚魚だけ提供したものを「近大生まれ」と呼んでいますが、そうした提携先を含めて供給を増やしたいですね。

  • 2010年から近畿大学とクロマグロ中間育成事業において業務提携

紀州梅

あんぽ柿 

めはり寿司

支店長

豊田通商さんのようなパートナーをさらに広げていくのが課題ということですね。世界的にみると、マグロの養殖には、他の挑戦者や競争相手はいるのでしょうか?

熊井教授

我々が協力しているケースは多くあります。例えば、オーストラリアのミナミマグロを我々が協力してやってきました。また近大OBがスペインに3年計画で養殖支援に行ったのですが経済が悪くなって2年で帰って来たこともありました。あと韓国や台湾では、政府がマグロの水槽を作り始めています。これから更に広がっていくと思います。国際協力としてパナマでキハダマグロの研究も進めています。

支店長

台湾が政府と一体で参入しているとのことですが、日本の政府に期待することはありますか。

熊井教授

マグロの完全養殖を国策として支援して頂きたいですね。韓国や台湾のマグロやノルウェー・サーモンも国策です。日本も3年前から本腰を入れ始めて、一昨年、(独)水産総合研究センターが陸上の水槽で確実に卵を採れるよう長崎にマグロの産卵水槽を作りました。昨年5月に初めて卵を産んだのですが、ランニングコストが相当かかる。私立大学にとっては大金ですので国策として支援頂けると有難い。マグロ大国だと威張っていても、現状に甘んじていると台湾や韓国に追い越されてしまいます。

熊井教授:当初は、予算も限られ、お金を借りることもままなりませんでした。

支店長:「発想の転換」一つで養殖の根本を変える手法を開発したのですね。

支店長

次に、養殖の話を伺いたいと思います。近年、マグロの絶滅が危惧されている中でマグロの完全養殖というのは非常に画期的なプロジェクトだと思いますが、マグロが大量に獲れた時代から近畿大学で魚の養殖を始められた経緯はどのようなものだったのでしょうか?

熊井教授

戦後すぐの頃でしょうか、近畿大学初代総長・理事長の世耕弘一先生が、これからは日本の人口が増加する。陸上の食べ物だけでは絶対足りなくなる。それだったら「海を耕そう」と言われまして、昭和23年に水産研究所の前身となる白浜臨海実験所を作ったのが始まりです。当時の私立大学は財政的にも苦しく、古い旅館を買収して実験所にしました。私が入所した時、水産研究所のスタッフはたった5人でした。初代所長の松井先生(金魚の遺伝研究の大家)と、2代目の所長となる原田先生、私、高校を卒業したばかりの事務員、寮を管理するおばさんです。今や200人弱の大所帯になっていますが、当時はそういう状況でした。

1948年 白浜臨海研究所開設

支店長

養殖研究のルーツは「戦後の食料難」にあったのですね。

熊井教授

そうです。原田先生が昭和29年からハマチの養殖を始めたのです。民間では、香川県の東香川市で既に養殖が行われていたので、世耕理事長が「原田君、行って習ってきなさい」と言われて始めました。大学で「海の魚」の養殖をするというのは本当に珍しく初めてだったのです。

支店長

今では大学がビジネスをすることも珍しくなくなりましたが、当時は少なかったのでしょうね。

熊井教授

私立大学ですので最初の頃は予算が厳しくて。ハマチを養殖するのには体重の7倍くらいの餌が必要ですから費用がものすごくかかる。本部からは「職員の給料もそんなに払えないのに、なんで魚に」と言われたこともあります。それで原田先生と2人で銀行にお金を借りに行ったら、そんな若造には貸せないと断られたりしました。松井先生が資産家だったのでお金を借りたこともありました。

網生簀式養殖(大島実験場)

(白浜実験場)

熊井教授

それから研究ですのでただ飼うのでなく種々なデータを集めないといけない。たとえば餌をどう変えるか、魚の密度をどの程度にするか。そこで考えたのが「網生簀(いけす)方式」です。当時は、湾を仕切っただけの「自然の生簀」に飼っていたのですが、底面も網で仕切って生簀を作り、魚が育つか試しました。これが成功し、その結果を昭和34年の水産学会で発表しました。これが「網生簀方式」の元祖であり、今では世界に広がっています。

支店長

従来は「大きな海の池」のようなところで飼っていたのを、網で細かく仕切ったというのが「発想の転換」だったのですね。

熊井教授

そうです。池や湖などで育つ「淡水魚」の養殖は歴史が長く、1900年くらい前から皇族が池で鯉を飼っていたという記録があります。また、明治10年からニジマスの養殖が始まり、明治12年からはウナギの養殖が始まっています。淡水魚の養殖から使われていた従来の方式とは異なる「網生簀方式」を編み出して以降、海水魚の養殖が盛んになり、産業的に発展しました。従来は、自然の湾をそのまま使うため、地域的にも限られましたが、網生簀は海にどんどん広げられますから。

支店長

なるほど。マグロの完全養殖を成功させる前に、養殖の流れを大きく変えるような仕事をされたのですね。

熊井教授

そうです。そして、ハマチの後も、ヒラメ、ブリ、カンパチ、ヒラマサ、マダイ、シマアジと次々と取り組んできました。最後に残ったのがマグロなのです。

支店長

難しい海水魚の養殖にチャレンジするにあたり、市場価値の高い魚を対象にし続けてきたところは、経済的にみても合理性があると思います。

マダイ

熊井教授:マグロの完全養殖に32年かかりました。途中11年間は卵を全く産まない時期もあり「もう終わった」と思いました。

支店長:諦めずに成し遂げた結果、地域経済への貢献に繋がった訳ですね。

支店長

次に、マグロの完全養殖に取り組まれる訳ですが、難しさの本質というのはどのようなものなのでしょうか。マグロは大きいですし、ものすごいスピードで泳ぎますから、養殖には相当大きな施設や水槽が必要ですよね。素人目にも非常に難しそうだなと思うのです。

熊井教授

まず、クロマグロの稚魚を捕まえて卵を産ませることから始めたのですが、マグロというのは、皮膚が非常に弱いのです。クロマグロの幼魚をヨコワと言いますが、漁師の方が言うには、これを釣り上げて手で掴むと、指の痕から腐るぐらい弱いのです。

支店長

マグロは一見強そうなイメージがありますが、デリケートなのですね。

熊井教授

そうです。定置網だと網を引き上げた際に皮膚が擦れてベロベロになってしまいます。そこで定置網は駄目だと判断し、ハワイのカナカ族から伝わったと言われる「ケンケン」という漁法に変更し、手で触らずに生簀に持って来る方法を確立しました。生簀の中で1年以上生かすことが出来るまでに、1970年~1974年まで4年かかりました。さらに、それから5年経って1979年にようやく卵を産みました。

支店長

稚魚を生かして大きく育てるまでに4年、卵を産ませるのに更に5年、最初のステップで10年もかかったのですね。

熊井教授

しかしその後、なかなか定期的に卵を産ませることが出来なかった。産んだり、産まなかったりで。途中11年間も産まないことがありました。種々と手を尽くしたのですが、もうこれで終わったのかなと思ったほどです。

支店長

11年間も卵を産まなかったのですか。諦めそうになりますね。

熊井教授

卵から稚魚が生まれてからも、思いもよらない突然死に次々と見舞われました。まずは産まれて4日ほどで遊泳力のない子供が表面張力で水面に張り付いて死んでしまう。これが浮上死です。それから10日ほど経過すると、夜になると沈んで底に擦れて死んでしまいます。これが沈降死です。浮上死を防ぐために、表面張力を弱める油膜を貼る工夫をし、沈降死を防ぐために底の水流がうまく流れるよう工夫しました。

その後、消化器官が発達すると、体の大きいのが小さいのを手当たりしだい食べ始めます。これを防ぐために、イシダイなどの孵化仔魚を大量に与えることにしました。1か月ぐらい経過し、5~7㎝ほどに成長すると、陸上の水槽から沖の生簀へ移動させるのですが、今度は衝突死が発生しました。マグロは非常に驚きやすい性格で、車のライト、雷、花火などですぐパニックを起こし網に衝突してしまいます。これに対して翌年は、対辺12メートルの八角形の大型生簀を使うと少し改善されるようになりました。

支店長

数々の難関を乗り越えられて来たのですね。

熊井教授

そうです。その結果、1995年には17尾残りました。たった17尾と思われるかもしれませんが、世界で初めて人工で作って20キログラムまで成長したクロマグロです。これが17尾も残ったのです。あとは、このマグロが卵を産んでくれれば、完全養殖の達成です。天然物が5年で卵を産むので、養殖マグロも5年で産むかと期待していましたが、5年経っても、6年経っても産まない。7年目の2002年に入ると台風が来て濁水で、串本湾の表側にあったマグロが全部死んでしまったのです。奥側で人工孵化したマグロを育てていたのですが、これも全滅ではないかと身の細る思いをしました。幸いなことにこれが数は減ったのですが生き残っていました。そして、2002年6月23日に待望の産卵が始まったのです。それが世界初の完全養殖だったのです。

支店長

白浜にしても勝浦にしても、地元の漁業関係や商業関係の方々の協力を頂くなどご苦労されてきたのでしょうね。

熊井教授

そうですね。養殖といっても海を使うからには漁業権が必要で、これはもともと専業の漁業者に与えられる権利です。大学のままで漁業権を取るのは難しいので、我々も「アーマリン近大」という会社を作りました。また、何と言っても地元の漁業者と共同で取り組んでいくことが大切です。近畿大学は7か所の実験場を持っていますが、全て地元から要請を受けて広がったものです。近畿大学の実績を聞きつけて地元産業の発展のために是非と言われ、引き受けるケースが殆どです。

支店長

魚を人工孵化して稚魚を漁業者の方々に安定的に提供することは、地域経済への貢献にもなりますね。まさに農林水産業の6次産業化にぴったりですので、輸出できるぐらいまで発展させて頂きたいと思います。

高校2年で生まれて初めて海に入り「海の仕事をやったら面白いだろうなぁ」と感激した。それが私の原点でした。

支店長

熊井先生は次々と難問に挑戦されてきた訳ですが、養殖の道を志されたきっかけの話を伺えると、新しいことに挑む人達の参考になると思います。熊井先生は長野県出身の山育ちということですが、それにも関わらず、魚の養殖に挑戦しようとされたのは何故ですか。

熊井教授

私は長野県出身ですが、農家で育ったため、水田や畑に行くことが多く、自然と生物に興味を持ちました。高校では躊躇せずに「博物会(生物部)」に入り、そこで、松本市内の池を探索して、趣味でプランクトンの研究のようなことをやっていました。高校2年の時に、顧問の先生が三重県で教師をしている教え子から相談を受けまして、四日市には本格的な山がないから学生に高山植物を見せる機会がないが、松本の学生も海を見たことがないだろうから交換会をしようと。その一回目が三重県の鳥羽で開催され、そこで生まれて初めて海に入りました。沿岸の動植物とか海の中の海藻や動物が本当に珍しくて衝撃を受けました。夜は明かりをつけると、魚やプランクトンが集まって来ます。私が池で研究していたのと比較すると、量・種類ともに比較にならないほど多かった。海の仕事をやったら面白いだろうなぁ。それが私の原点でした。

支店長

なるほど。そういう運命的な海との出会いから海の生物の研究を志されて、大学で水産のことを学ばれたのですね。

熊井教授

そうです。しかし、私自身は大学に行きたかったのですが、父親は「百姓の倅が大学なんて行かんでいい」ということでだいぶ衝突しまして、直前まで進路が決まらなかったのです。それでも、高校の先生が説得してくれまして一回だけ受験が許されました。背水の陣なのでなんとか合格しなければなりません。東京では生活費もかかる。たまたまもう一人の顧問の先生が広島大学に水畜産学部があると勧めてくれて広島へ行ったのです。昭和29年のことです。

熊井 英水(くまい ひでみ)

近畿大学名誉教授、学校法人近畿大学本部理事。
農学博士。近畿大学水産研究所元所長。
長野県出身、1958年広島大学水畜産学部卒業。
ヒラメやカンパチなど約20種の人工孵化や完全養殖に成功し、2002年には世界で初めてクロマグロの完全養殖に成功。

偶然が重なり近畿大学へ。人生は何があるか分からない。

支店長

大学を卒業後、近畿大学に就職されて養殖の研究を始めたのですね。

熊井教授

結果的にはそういうことなのですが、実は、近畿大学に就職したのは偶然が重なってのことです。当時(昭和33年)は、就職難でしたが、私は三重県職員の試験を受けてなんとかクリアしました。そうしたら広島大学の学部長から、香川県の職員に空席があるのですぐに採用出来るとの連絡がありました。学部長が香川県に履歴書を持って行ってくれることになっていたのですが、ちょうどその頃、神戸で海区漁業調整委員会が開催されていて、学部長が出席しました。隣に近畿大学水産研究所の初代所長となる松井先生が座っていて「今度、近畿大学に農学部が出来て水産学科の教授に行くことが決まったが、白浜に養魚場があるのでそこで働く若手を探している。誰かいないか」という話になりました。学部長がちょうど私の履歴書を持っていたので、これ幸いと話が決まったのです。人生は何があるか分からず、面白いものだと思いました。

挑戦し続けるのには、第一に「継続」、第二に「観察」、第三に「愛情」。

支店長

最後に、これから新しいことにチャレンジする人々に向けて一言アドバイスをお願いします。

熊井教授

まず、第一に「継続」が大事ですね。根気も忍耐も必要ですし、そうしたことが大切だと思います。第二に、問題となる物事をしっかり「観察」すること。マグロの養殖研究で言えば、研究対象となるマグロを正確にかつ連続して観察することが必要です。今まで学生を何人も指導してきましたが、結局、正確な観察眼がないと魚を殺してしまう。魚というのは物を言わないので死んで抗議します。死ぬ前に状況を全部把握しなければならない。動きが違うとか、色が違うとか、様々な現象が出てくる。恩師の原田先生からよく言われたのは「先生に聞くのではなく、魚に聞け」ということでした。「魚をちゃんと見ていれば、おのずと答えが出る」ということです。それから第三に、生き物を飼う場合もそうですが「愛情」が大切です。これがなかったらダメですね。おざなりにしてはダメ。私は長い研究生活でこの3つを三訓としています。

支店長

「愛情」というのはよくわかります。私はガーデニングが趣味で、植物も物を言いませんが、「大きくなったね」と声をかけて育てると綺麗な花が咲いたり、よく実がなったりするのです。それだけ「愛情」をかけて育てているということでもあり、またよく「観察」することにつながるからだと思います。

支店長

本日は、大変興味深いお話ばかりで、本当にありがとうございました。

熊井教授

こちらこそありがとうございました。

支店長

まず、マグロの完全養殖を達成されたということですが、この「完全養殖」の定義を教えてください。

熊井教授

もともと「養殖」というのは、海から稚魚を捕ってきて、餌をやり、価値の出る大きさまで育てて市場に出す、という単純なものでした。

支店長

稚魚を捕る段階で自然界としてダメージを受ける訳ですよね。

熊井教授

そうです。稚魚を捕って来てしまうと資源が減ってしまいますので、稚魚を一部親に育てて、その親から卵を採って量産するということが必要です。完全養殖というのは、まず、天然から稚魚を捕ってきて、それを親にします。その親から卵をとって、孵化したものを人工的に育てて親を作る。その親が卵を産めば、人間の管理下で彼らの一生が一巡することになります。このサイクルを完成させるのが完全養殖です。

支店長

マグロにも種々種類があると思うのですが、完全養殖を達成されたクロマグロ以外のものは養殖の対象とならないのでしょうか?

熊井教授

養殖するには、「養殖経済」というのがありまして、単価の安いものを養殖してもその経済に合わないのです。もうひとつは希少であることです。ですから単価の一番高い美味で希少なクロマグロがターゲットとなった訳です。それから、ミナミマグロもオーストラリアで養殖しています。

支店長

それ以外のマグロにはどのようなものが?

熊井教授

現在、マグロの種類は世界で8種類あります。一番大きいのは、クロマグロです。あとは、キハダマグロがあります。マグロ類の漁獲割合をみると、キハダマグロは63.1%もあるのです。その次に、メバチマグロがあります。「目がパッチリ」してるから「メバチ」と言われていますが、これは18%ぐらいあります。そしてその次が、びんちょうマグロ。「胸ビレが長い」ので「びんちょう」と呼ばれていますが、これが9.6%です。その次が、クロマグロで1.8%しかないのです。それからもうひとつは、ミナミマグロがあります。別名インドマグロといいますが、赤道から南の方にいます。今はオーストラリアのポート・リンカーンでどんどん養殖していますが、これはクロマグロに次いで肉質がいいのです。それでも0.7%しかないです。その他にも、コシナガとか大西洋マグロというのがありますが、コシナガっていうのは東南アジアに3.6%ぐらいます。日本にも少しいますけど、あまり美味しくないんです。

支店長

商品価値がないということですか?

熊井教授

そうですね。コシナガは商品価値が小さく、大西洋マグロもごく僅かしかいないので、これを除いた、クロマグロ、メバチマグロ、キハダマグロ、ビンナガマグロ、ミナミマグロ、これが、我々が利用しているマグロです。それから、クロマグロと言っても商品としては「クロマグロ」ですが、学問的に種類分けしますと、最近の研究では、DNAなどを調べると生物学的に「大西洋クロマグロ」と「太平洋クロマグロ」と2種類のクロマグロがいることが分かってきました。

支店長

私がアメリカにいた頃、「ボストン沖の赤身のマグロは美味しいな」と思いましたが、それと大間のマグロとは別の可能性もあるのですか?

熊井教授

その可能性はあります(笑)。いずれにせよクロマグロが一番大きくなります。

支店長

この先、もっと難しい魚の完全養殖を考えていらっしゃいますか? 個人的にはウナギで成功して欲しいなと思いますが。

熊井教授

ウナギ、それからアナゴでしょうか。それからトラフグは、メスは卵巣に毒がありますが、雄は天然でも毒がない。富山では雄だけを作る試みがあります。今までの実験では8割は雄になるという結果が出ている。フグの猛毒(テトロドトキシン)は、食物連鎖から来ていて、小はビブリオ菌から、大は巻貝(ボウシュウボウ等)などを食べたフグに毒が蓄積されます。養殖であれば網生簀で、しかも配合飼料を与えれば問題がなくなります。

支店長

そうすると、「毒無しフグ」ができるのですね。卵巣も肝も素人が食べられるということになれば素晴らしいですね。

熊井教授

しかし万が一という事がありますからフグの料理は免許を持った人がするのが鉄則です。